世の中には2種類の無職がいる。
収入源のある無職とそうでない無職だ。
私は後者だった。そう、ただそれだけの話である。
私は今年の3月まで大学生だった。
気分が乗った時に大学に行き、必要最低限の出席をし、必要最低限の単位を取得する。
サークルや飲み会では頭の悪いお酒の飲み方をし、早朝から昼まで嘔吐する。
一日を無駄にしてしまった後悔からもう二度としないと誓うが再来週には同じことをする。
そんなどこにでもいるような遊びと学びを両立し…本当に両立していたのか?
それは怪しいところだがとにかくどこにでもいるしがない大学生だった。
4回生にもなってくると就活という名の現実が常に襲い掛かってくる。
毎夜毎夜「就職活動」という4文字が常に自分の頭に深く刻まれ続けていく。
Twitterのタイムライン、インスタグラムのストーリー。
友人との会話や周囲から漏れて聞こえる会話。
SNSを始めとしたありとあらゆる空間、何もかもからその言葉が常に流れてくる。
私もそうだった。だが1年間常に払いのけ続けた。
それは何故か。
どうしてもやりたいことがあったというわけではない。
自分なりに何か考えがあってそれを一貫しようとしていたわけでもない。
ただただシンプルな理由である。
「働きたくない」からである。
シンプルが故にこれ以上ない理由だと私も自画自賛していた。
だが本当にそれだけの理由だったのか、ここに一考の余地はある。
そもそも「働きたくない」とはどういうことなのか。
誰しもが一度も考えたことないだろう。だってそんなアホみたいなこと考える必要がないからな。
日本国憲法第25条では「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と記述されている。
つまり「働きたくない」を実現している無職もすべての国民に該当する為、これらの権利は保証されている。
だが日本国憲法第27条1項では「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」と記述されている。
そう、「働きたくない」を体現した存在である無職は憲法に背いた非国民なのである。
だが本当にそうなのだろうか。
「働きたくない」という言葉をもっと根本的に見つめ直す必要があるのではないか。
私なりに拙いながらもここに考察してみようと思う。
「働きたくない」という言葉は(おそらく)辞書に載っていない言葉である。
辞書に載っているならばその情報で全てがわかるがこの言葉は辞書には載っていない特別な言葉である。
その為、私たちがこの言葉について本当の意味で理解できているか再確認するためにもここから紐解いていこうと思う。
まず初めに「働きたくない」という言葉は3つの言葉に分解することができる。
・「働く」という動詞
はたら・く【働く】
の解説
[動カ五(四)]
1 仕事をする。労働する。特に、職業として、あるいは生計を維持するために、一定の職に就く。「朝から晩までよく―・く」「工場で―・く」「―・きながら資格を取る」
2 機能する。また、作用して結果が現れる。「薬が―・いて熱が下がる」「引力が―・く」「機械がうまく―・かない」
3 精神などが活動する。「知恵が―・く」「勘が―・く」
4 悪事をする。「盗みを―・く」「不正を―・く」
5 文法で、用言や助動詞の語尾が変化する。活用する。「五段に―・く動詞」
6 動く。体を動かす。
「死にて六日といふ日の未 (ひつじ) の時ばかりに、にはかにこの棺―・く」〈 ・三〉
7 出撃して戦う。
「オノレワ戦場ニ出テ楯矛 (たてほこ) ヲ取ッテワ―・カネドモ」〈天草本 ・陣頭の貝吹き〉
今回はおそらく1の意味が適当するだろう。
仕事をする。労働をする。職業。一定の職に就く。
は?
読者の皆さんならお分かりなのだろうか?
また意味のわからない言葉が並んでいる。
本来ならこれらの言葉の意味を調べないといけないが本題からそれてしまう可能性を捨てきれない為、今回は割愛。
・「~したい」という希望や願望の意を持った言葉を表現する際に使う形容詞
・「ない」という否定の意味を持った言葉
この3つの言葉が全て同時に成立しないと成り立たない奇跡のようなバランスを持った言葉である。
私が国語の勉強をしたのは遥か昔3000年ほど前の事である為、多少の間違いはあるかもしれない。
しかしこれらのことからこのことだけは断言できる。
「働きたくない」という言葉はとても美しく儚い言葉なのだ。
この美しく儚い理由に遺憾の意を唱えるものはいるだろうか。いやいるはずがない。
だがそんな美麗で尊い「働きたくない」という言葉を軽視し、簡単に発言する舐め腐った連中が世の中には存在する。
「働きたくない」と意思表示を行っていながらも就職活動をする雑魚だ。
あいつらは崇高なる言葉を口にしておきながら行動は相反する。
言動と行動が一貫していない不完全な人間だ。
未熟でヒヨッコで素人に毛が生えた程度で半人前でアマちゃんで肝が据わってなくて下世話で痛くて熱くて苦しくて悲しくて辛くて泣きたくて耐えられなくて逃げられなて逆らえなくて終わらなくて背けたくて叫びたくてもがきたくて吐きたくて止めたくて抵抗したくて歯向かいたくて抗いたくて逃げ出したくて隠れたくて避けたくてこもりたくて拒絶したくて咬みつきたくて撥ね退けたくて振り払いたくて追い詰められて捕らえられて引きずり出されて攻め立てられて強制されて許されなくて束縛されて締め付けられて押し付けられて引きちぎられて投げつけられて虐げられて呻きたくて喚きたくて狂いたくてこらえられなくて捕まれて殴られて裂かれて砕かれて蹴られて焼かれて刻まれて焦がされて汚されて破られて荒らされて壊されて嬲られて弄ばれて潰されて踏みにじられて飽きられて放り出されて打ち捨てられて消えてしまって痛みも麻痺して心が壊れて涙も出なくてでもまた拾われてまた捕まれてまた殴られてまた汚されてまた破られてまた砕かれてまた蹴られてまた刻まれてまた焼き焦がされてしまってもいいぐらい低俗な人間だ。ばかあほぼけまぬけ。
私はあいつらの存在が許せなかった。
格の違いというモノを見せつけたかった。
私は意地でも就活をしてはいけなかっただろう。だがしてしまった。
それは何故か。私には収入源がなかったからだ。
(厳密にいえばTwitchの収益化が通ったから収入源があるといえばあるんやけど一か月で1000円も届かんからこれじゃ生きていけない。辛い。どうかこのブログを読んだ方暇な時でいいので僕がTwitchで配信してたら見に来てくださいどうかお願いします面白い配信にできてるかはわからないけど楽しくゲームしてる姿は見れます。てかここがこの記事の一番伝えたいことです他は全部蛇足です)
人間どう頑張っても収入源がないと生きていくことができない。
親に頭を下げれば生きていけるがもうこれ以上脛をかじるのは申し訳なさすぎて厳しい。
今月の家賃とクレジットカード決済を終えれば来月には破産待ったなしである。
もう所持金の底が見えた。
ここで話は冒頭に戻る。
世の中には2種類の無職がいる。
収入源のある無職とそうでない無職だ。
昨今、ストリーマーやYoutuberなど高収入でもはや無職といえない無職が跋扈している。
だが私は違う。私は後者だった。
そう、ただそれだけの話である。
本当の雑魚は俺だった。おとなしく就活します。
というかもう始めてます。はやく働いて収入を得ないと生きていけない。
本当に俺は雑魚だった。
散々と屁理屈こねて御託を並べまくったこのブログだ。
今読んでる君はいつまでも続く悠久のブログだと思ったかもしれない。
でも形あるものは朽ちる。
無限のモノなんて存在しないから有限のモノが美しいのだ。
終わらないモノに価値はない。
終わるからこそその最後の儚さにヒトは、人間は感情を動かされるのだ。
それをヒトは「感動」と呼ぶ。
キーボードで文章書いてるからこの表現を使うのは絶対間違ってるだろうけどかっこいいから敢えてこの言葉を使いたい。
君たち読者に感動を届ける言葉でこの記事を締めくくろう。
ではこの辺りで筆を擱くことにしよう。
(決まった…)