ざっくジャパン

その時に書きたいことを書くなんでもブログ。

25歳 等身大の自分

ヴェポ!! こんばんわざっくジャパンです。

今年も夏の季節がやってきました。

夏といえば7月。7月といえばざっくジャパン生誕祭。今年でもう26度目の生誕祭です。

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節目も節目ということで25年生きてきた経験から得た自分なりの人生哲学というか

俺が人間という生き物をするにあたってどういう価値観を持って生きているのか、

今この瞬間の25年生きてきた自分はどういう人間になっているのかを

いつでも見返せるよう"形"として残しておきたくて今回の記事を書きました。

 

現実で身近な人間や俺に何か相談してくれた人間には話したことがある内容なんだけど

ネットの人間にはこういう自分を見せたことが殆どないから

もしかしたら読んだ後俺との距離感がわからなくなるかもしれません(?)

「来る者拒まず、去る者めちゃくちゃ悲しいけど追わず」の精神で生きてるので

今の自分、ありのままを言語化できるだけ言語化していこうかなって思ってます。

 

普段ふざけたことばっか言ってるし行動もそのままふざけてるんだけど

この記事を読めばその真意がわかると思います。知らんけど。

 

ちなみに今回は無職についてTENGAを試した時のようなブログではございません。

なのでまずはアホみたいな記事を読んで笑って欲しいから

まだの人は上二つを先に目を通してください。

自分でいうのもなんだけど特にTENGAは自信作。

ちゃんと実話だしわりと面白く書けた自信ある。この前自分で読んでフフってなった。

あ、こんなこと言ったらハードルあがってまうから良くなかったかもしれん。

 

話を戻して今回の内容について。

クスってできるところも若干あるかもだけど至って真面目な記事です。もはや自己啓発

まあそもそもこういう堅苦しいのを書く為に作ったブログだったから原点回帰。

 

お前の価値観なんて興味ねーよって方はブラウザバック推奨。

そんな人に読めるような生半可な長さしてません。今回2万4000字書いてます。

ぶっちぎりで歴代最多文字数です。小説家になろう

 

でも我ながら世界中の生きづらさを感じている人に読ませたら

一人ぐらいは人を救えるんじゃないか?ってぐらいの内容にはなりました。

だからもし君が今生きづらさを感じているのなら騙されたと思って読んでみて欲しい。

 

でも騙されたって思って読むにはちょっとこってりしすぎてて重たすぎるんだよな。

あまりにも書きたいことが多すぎて、あまりにもキーボードを打つ手が止まらなすぎて、

あまりにも脱線に脱線を重ね倒してしまって、

思わず「これ自伝小説か?」って声が出てしまうくらいには長いんだよな。

スクロールバーをちらっと見てみ?おかしいぐらい小さくね?これが2万字の力。

俺も書き終わって一回だけ試し読みしたらスクロールバーが小さすぎてビックリした。

スマホだと腱鞘炎になるんだが無理なんだがってぐらい指をクイってしなきゃいけない。

まずスマホで読むのはやめた方がいい。PCを開こう。

 

とりあえず一番読んで欲しいとこを伝えます。

全部2章に詰めました。そこだけ読んでくれたらもう十分です。

他ははっきりいって全部蛇足です。読まなくていい。

いや、2章だけでもめちゃくちゃ長いからもうだめかも。

俺以外読まなくていいよこの記事。自分の為に書いたしそれでいいよ。

 

ということで本編へ

 

 

1.~Prologue~

自分の人生観、考え方を語る前にざっくジャパンという人間がどういう人間なのか

どういう人間だったのかということについてから始めます。

昔からの知り合いなら軽く知ってるかもしれないけど

自分はとんでもないネガティブな、マイナス思考な人間でした。

 

どんなことでも深く考えることが好きで何に対してもなんでだろって思う性格で、

こういう人間が陥りがちなんだけど考えれば考えるほど暗い方向に沈んでいくんよね。

 

同族なら皆その経験あると思うし

今まで自分で自分の命を断っていった名立たる天才達も恐らくそうなんだと思う。

 

ハトってなんで歩くときに首振ってるんだろ。

公衆便所で流さずに出ていく人間は何を思ってそうしているんだろう。

でかいうんこを自慢したかったんだろうか?みたいなくそくだらないことから

人ってなんで生きてるんだろ。どうせ自分一人いなくても世界の歯車は回り続けるし

自分って存在に意味はあるのか?ないなら何故生きるのか?生きなきゃいけないのか?

みたいな答えが出るはずのない哲学じみたことまでも。

 

「う~ん生きる意味なんて全然思いつかんし死ぬか~」とまで思ったことはないけど

名立たる天才達が自ら命を断っていったのもここが始まりなんだと思う。

俺は凡人だからそこまでは至らなかったし、

自分が考えてることすら全然把握できてないのに

天才の気持ちなんてもっとわかるわけがないし。

でも彼らが何を考えて命を断っていったのか

めちゃくちゃ知りたいけど今となっちゃそれ知る術はもう何もないし。

なんて考えてると脱線していくから本筋に戻すね。

 

大体14、15歳ぐらいの思春期の頃が自分の暗さのピークだったかな

ある種あれは自分に酔ってたって言っても過言じゃないぐらいのネガティブさだった。

 

人間はネガティブな方がいい、こうしてる方がかっこいいって錯覚してると思われても仕方がないぐらい。

 

中学の卒業アルバムの寄せ書きに

「お前もっと人生明るく生きろよ」「病みすぎやぞ」って書かれてたり

当時付き合っていた彼女にも

「この人、私がどうにかして明るくしてあげたいな」なんて思われていたらしい。

 

そんな自分だったけどお調子者な性格のおかげか

中学時代ではクラスの中心に近い地位にいた。

普段は明るい自分を見せようと必死に取り繕っていた。

ここは今もそんなに変わっちゃいないのかもしれない。

 

小学生の時からの繋がりでこいつにはなんでも話せるなって親友が一人いた。

 

でも中学3年の卒業間近になっていくにつれ、

なんの前触れもなく何故か急にそいつとは一言も話さなくなった。

 

親友だったはずの人との縁がいとも簡単に切れてしまった。

「ああ、なんだこんなもんか。

 友達とか親友ってくだらないな。

 人と関わるのめんどくさいな。」

 

自分の性格も相まって考える必要のない闇に包まれた。

卒業間近にも関わらず学校に行く気が失せて不登校になり、もう思春期真っ盛り。

 

時期はたしか中学3年の1月か2月あたり。

あっという間に卒業式の日がきた。

不登校と表現するにはあまりにも短すぎる期間だったかもしれない。

 

ちなみに2年程前にかつての親友と話す機会が1度だけあって、

その頃のことを聞いたら「何故か記憶がない。殆ど覚えてない。」って返ってきた。

その時何かを隠してるような様子はなかったし、普通に話せていた。

多分あいつも俺と同様で自分の中の何かと戦って苦しんでたんだろうなって思った。

 

その話はさておき。

中学では他にも友達がいたから終盤学校に行かなかっただけで

連絡取って遊んだりはしてたし一応楽しく過ごせてはいた。

 

でも自分の中では人間関係に関してモヤモヤをずっと抱えたまま。

そのせいか高校では周りの人間の会話の笑いどころが一つもわからなかった。

どいつもこいつも話が面白くなかった。

おまけに担任イジめじみたこともしていて

高1にもなってやってることがくだらなさすぎて誰とも関わる気がなくなった。

一応所属していたグループをスッと離れ高校ではしばらくはぼっち生活。

 

帰りに最寄り駅を通ると中学の友達が高校の話をしていた。

中学の友達の話はおもしろくて、俺もぼっち話で対抗して笑いをとった。

こいつらとは笑いどころが合ってて俺が間違っているのか

それとも高校の人らが間違っているのか何もわからなかった。

今思うと多分俺もクラスの人のどっちも間違っていたと思う。

 

そこに救われていた時期もあったが縁とは時が流れるにつれ疎遠になるもの。

最寄り駅に溜まっていた中学の友達は

バイトや部活、高校の友達との約束などで一人二人と消えていった。

 

残されたのは俺だけになった。

 

時を少し遡ってちょうど中学3年生の3学期 不登校になる直前ぐらいの時期だろうか。

当時ニコニコ生放送ではヤフミちゃんねるを筆頭に

バイオハザード4の縛りプレイ」が流行っていて自分はそのリスナーの一人だった。

 

ずっと配信を見ている内にリスナー同士でTwitterで繋がり、

何故か配信のコメントをTwitterで垂れ流したり日常のバカげたツイートを沢山したり、

一緒にゲームしてふざけたプレイを沢山したりして、笑いが止まらなかった。

 

その時はそれだけが本当に楽しくて今の自分の大きな要素の一つでもある

「ふざけた性格」が確立されていった。

元々は兄とじゃれ合ってる時にしか表に出すことはなかった性格だったが

間違いなく自分だし何一つ演じていないからネットにも居場所ができた。

 

高1のぼっちだった自分にはそこだけが居場所だった。

 

今の時代となっちゃそうじゃない人の方が沢山いるだろうし

いろんな人がいてこそだから今の混沌としたネットの方が好きだけど

当時のインターネットって周りと通じ合えない趣味を持ってたり

現実だと何かが違うなってなってしまう人がハマる沼のような存在で、

だからこそ この広い海の中にはどんな人にも適した場所があって、

現実じゃ輝けなくても脚光に当たることができて

インターネットって良い場所だなあなんて思ったりしていた。

「もう他に何もいらないや」なんて思って一生Twitterしながら生きていた。

 

高校1年生の2学期の終わり頃

こんなネットだけの日々は良くないなって、突然我に返った。

今の自分になにか出来ることはないか、リアルで人との縁を取り戻す方法はないのか。

クラスのやつと仲良くなるのは多分何があっても無理だろう。

なら何か一緒に打ち込める仲間を探してみるべきじゃないんだろうか。

 

そう思い中学時代に打ち込んでた陸上を再開することにした。

そうしたら意外と部活内のやつらとは話が合った。

「なんだ、自分で立ち上がれんじゃん俺。変われるんだ。」

少し、ほんの少しだけ今の自分に近づいた。

そうして高校にも自分の居場所ができた。

 

でも人間はそう簡単には変わらない。

日々くだらないことから真面目なことまで考えに考えてしまう性格で、

自己肯定感なんて微塵のかけらもなかった。

クラスに友達はいない。居場所はネットと部活しかない。

 

こんな自分がやれることは十二分にやらなきゃいけない。

それしかないんだから。

その一心で中距離を専門に陸上競技をしていた自分だったが

冬場になると駅伝(長距離)の練習に全身全霊を捧げた。

 

駅伝に向けて放課後の練習は勿論のこと自主練で朝練と夜練。

全部大事だったからその上ネットの友達と夜遅くまで

ゲームしたり相変わらず配信も見たりしていた。

この頃になるとバイオ4の配信は少し廃れてたっけな。

自分もちょこっとだけ配信を始めた時期だから多分廃れてた。

そんなことはどうでもいいしもうあんまり覚えてないけど。

ちなみにこの時期に友人に勧められて「ゆるゆり♪♪」を見たことでオタクと成った。

 

勿論体は壊れた。

自律神経が乱れに乱れて、まともな生活を送れなくなってしまった。

今度は正真正銘の99%不登校人間になった。

これが高2の冬あたりのこと。

 

担任の先生がわざわざ自宅まで来て色々と話を聞いてくれたり聞かせてくれたり

いじめられたり明確な悩みがあったわけじゃないから話すことなんて何もなかったが

卒業するには最低限どうすればいいのかとか色々と教えてくれて支えてくれた。

 

出席日数を稼ぐために遅刻してでも登校する日々。

わずかな登校時間だが、教室に入ると皆温かく迎えてくれた。

2年、3年のクラスでも当然あまり仲良くやれてはいなかったが

1年の時よりも周りの人間のことが好きになっていた。

 

部活を通してこの学校の人間にも気が合う人間がいるってことを知れたからだろう。

そうしていつのまにかクラスの中にも笑い合える友達ができていた。

 

いろんな人に助けられ、なんとか卒業することができた。

 

意外と人間って温かさで溢れてるんだよな。

自分が環境に恵まれてるのはずっと実感してたし、

そのおかげで死の選択肢を選ぼうと思うこともなくなんとか生きてこれたんだと思う。

 

そんなこんなで19歳になる年。

高校は卒業したけど不登校をしていたが故に学力は論外。

だから大学に入学するなんてまず無理。

こんな状況だし、体調も快復したわけではない。

労働はもっと不可能だろう。というかまず働きたくない。

 

いつものように自問自答

今の自分にできることは何かないか?今後数年何をしていくか?

 

・大学に行き、働かずに済む時間を1秒でも伸ばす為 社会人になれるよう知見を広める。

・今まで何度も潰れてきたから繰り返さない為にも自己を確立する。

 

この2つを当面の目標に生きていくことにした。

どちらとも今からやれることは山ほどある。

 

まずは浪人という名目で大学に向けて勉強しつつ、

大量の時間が溢れてるからここで自分を改めて見つめ直すことにした。

最初の数カ月で勉強は燃え尽きてやる気が消えて、2年目のセンター試験前日までほぼゲームと声優ラジオ三昧で結局二浪してクソみたいな日々だった

 

この時に自分はなんでここまでネガティブなんだろうってことを考えたのが

人生のターニングポイントだった。

 

そうして一周回ってポジティブになって今の自分の原型が出来上がった。

厳密にはお得意の理論武装で偽りの鎧を纏ってネガティブな自分ごと騙してるだけ。

 

ネガティブな部分とポジティブな部分で天秤にかけて

ひたすらプラスマイナスゼロの状況を作り続けてきただけなのだが。

自分のことは大好きになったがそれと同じくらい自分のことを嫌っている。

 

だから厳密にいうと今もネガティブなのかもしれない。

いや、今改めて自分を見つめ直してみるともはやもうネガティブとかポジティブだとか

そんな言葉の括りで考えるのすら馬鹿らしいなって思えるようになった。

 

俺は「ざっくジャパン」ってカテゴリの人間でそれ以上でもそれ以下でもないなって。

 

くさい言葉で締めくくりつつ、細かいことはこの先言ってくんで

とりあえずはそんな感じの経験をしてきた人間だってことがわかってくれたらいいかな。

 

普段こういうことあんま表に出さないから「お前ってそうだったんだ」とか

「お前がこんなこと書くの柄じゃなすぎて笑う」って思われてそうでおもろい。

逆に案外ずっとこういう風な人間だって思われてそうでもある。

まあどう思われてようが結局面白いな。

 

2.自分の為だけの人生を生きることにした

高校を卒業して、浪人するわけだから時間は大量にある。

共働きだから家の中には自分一人しかいない。ひたすら自分と向き合い放題。

「変わるなら今だ」なんて大それたことを考えてたわけじゃないけど

今以上に自分と向き合うだけの時間はおそらく今後取れないだろう。

まずここで自分の中にある大きな問題を少しでも解消しなければならない。

 

なんで自分はここまでネガティブな人間なんだろうか。

なんで大多数の人が当たり前のようにできてる人生を

自分には送ることができないんだろうか。

 

周りに楽しそうに見えるよう取り繕ってるだけだとしても

何故自分にはそれができないのか。

 

皆それなりに悩みを内包して生きているのはわかってはいるけれど

自分にはこんな状況で楽しく生きるなんてあり得ないから

これだけは今から少しずつでもいいから道を見つけなければならない。

そもそも大多数の人はこんなことを考えずにのほほんと生きてるだけかもしれないが。

 

勿論答えはすぐ出るわけもなくひたすら考え続ける毎日。

大学に入ってからも少し悩み続け、3年かかったが自分なりの答えが出た。

今後変わることのない芯になる価値観が出来上がった。

 

自分が見つけ出した答えは

「自分の事を好きになって自分の為だけの人生を送ろう」

「自己中心的人間の極致に至ろう」

 

なんでこんな極論に急になったかっていうとこれまた一言で説明しずらいんだけど

なんとなくわかって欲しいので順を追って説明します。

 

人間として生まれて、自分は恵まれてたから親に愛されて育って、

仮に愛されなかったにせよ生きなければいけない日々が続くわけで、

嫌でも歩けるようになって言語を覚え体は大きくなって、

学校という社会の枠組みに所属させられてそこで友達という存在ができて

学校を出たら会社という大きな人間の歯車に放り込まれて、

一生何かしらの枠組みに放り込まれて、

人間という輪の中で暮らしていく円環から抜け出せない日々が続く。

 

ここで想像してみてほしいのが最期に自分が死ぬ瞬間。

今までで一番長く関わってきた人間は誰なのか?という話。

 

親?

確かに親は生まれた時から一生自分に良くしてくれていた。

でも順当に生きていたら親は先に亡くなってしまう。

いつかはいなくなってしまう存在。認めたくないけどそれは避けられない運命で。

 

じゃあ友達?

そんな訳がない。どんなに仲良くなっても小中学校の友達は

高校にいくとどんどんと物理的な距離ができてどうしても疎遠になってしまう。

高校も同様で大学になると疎遠になっていってしまう。

大人になってもずっとそう、毎日のように馬鹿やって笑ってられる友人は

本当に大事だし大好きなんだけどいつかは離れていってしまうもので。

インターネットの友達も同様で10年以上の付き合いになる人がもう何人もいるのだが

いつの間にか消えてしまったが何人もいる。

もう名前を言われないと、言われても思い出せないような人が何人もいる。

いつかは俺もそうやって消えるんだろうか?

20年後、30年後みんな変わらずに周りにいるんだろうか?

皆いたらそれはそれでめちゃくちゃ面白いけど多分そうはいかないと思う。

 

じゃあいつか将来出来るであろうパートナー(結婚相手)なのか?

そうであったら嬉しいに越したことはないけどどっちかが先に死ぬのはそれもまた運命。

生まれたからには死ぬように出来てるからね、人間は。

「よし、お互い満足いくまで生きたし孫の顔も見れた!

 そろそろ死ぬか~!せーのっ寿命!!」

なんてそんな馬鹿げたことができるわけないからこれも悲しいことに違う。

 

ということでもう答えは言うまでもない。

 

そう、自分しかいないんだよな。

自分の中ではそう結論が出た。それ以外の答えが見つからなかった。

もしかしたら他の答えが出せる奇人もいるかもしれない。

でも大多数の人間が死ぬまでに一番長期間関わる人間は自分自身のはず。

少なくとも俺はそうだ。

そこで初めて気づくことが出来た。

 

なんだ、自分ってめっちゃ大事な存在じゃん。

そんな大事な人間を嫌いでいる。好きにならない。愛さない。

ここまで気付いてたら自分のこと嫌いなままでいるのあまりにもあり得なくないか?

そんな人生あって良い訳なくないか?

 

じゃあ今後の俺は自分のことを好きになれるように、

なんならいっそのこと自分だけを愛して生きれるように

自分の自分による自分の為だけの自分の人生を送ろう。

 

そうなるともう止まらなくてどんどんと自分の思考の指針が定まっていって、

自己肯定感の向上が止まらなくなった。

今までの考え方から自然と視点が変わっていった。

 

「自分には〇〇ができない。こんな自分は嫌いだ。」

この考えは「自分には〇〇ができるはず。」と思ってるのが大前提になりたっている。

だってそうじゃないと出来ない自分に嫌気が差さないはず。

その時点でまず自分のことが好きなのではないか?

自分のことが好きだからこそこの考えが生じていたことに気付いた。

 

「自分のここが嫌いだ。」ってなってた部分も

「こうだったら"もっと"自分のことを好きになれるのにな」って考えが原型で、

「嫌い」って一面しか見えなくなってそう錯覚していただけなんだ。

 

こじつけに屁理屈に、

ありとあらゆる理論武装の暴論で自分が塗り固められていった。

 

なんだ俺ってもうとっくに自分のこと好きだったんだ。

そうして迷える少年はエゴイストの塊と成った。

 

だから何をするにしてもこれして自分は楽しく生きれるのか?って考えるようになったし

あ~つまんね。って思ったらすぐにや~めたってなるようになった。

 

これが良いのか悪いのか。

正直な話、それは最期の瞬間が訪れるまで判断することは出来ない。

 

でも少なくとも自分はこの考え方が間違ってないかどうかを検証する。

その為に生き続けることにした。

 

何故生きるのか?その答えは未だにわからないがどう生きるのかが定まった。

 

生きててなんか退屈だな。息苦しいことが多いなって思ってる人に届けたい。

たった一回きりの自分の人生をどう生きるかは全部自分次第。

 

もしこれまでに自分はどう生きるのかってことを考えたことがなかったなら

これを機に考えてみると今後の人生がよりよく、面白くなるかもしれない。

 

「正解が存在しない問題」を考えることって意外と楽しいんよね。

 

もし答えが見つからなくてもそれでいいとも思う。

そうやって考えたことも生きてるって証だし、考えてこそ人生は楽しくなるもの。

 

仮に俺の考え方に賛同した人がいたとしても真似しろとは言いません。

というかもはや真似はしない方が良いまである。

こんな思考回路が狂った人間の考え方を真似するのは良くないと思う。やめとけ。

どう俺が狂ってるかっていうのはこの後のブログを読めば察するだろうから今は割愛。

 

でも俺と近しい考え方をすることは出来ると思うんよね。

今の自分が理想としている自分へ少しでも近づくことは絶対出来ると思う。

 

人間は簡単に変われないし変わらない生き物だけど

本気で変わろうって思ったら変われる生き物なんだよ。素晴らしいことに。

頭の片隅にずっと「変わるんだ」って置き続けないと絶対に変われないから

めちゃくちゃ難しいとは思うけど本気になれば人間はいつだって変われる。

 

だってお腹空いたなって思ったとしても飯食ったら腹膨れるじゃん。

ほら変われた。

暴論に近い屁理屈なのは重々承知だけどこれとなんら変わらないことだと思う。

 

ただ「空腹から満腹」って変化と「凝り固まった思考回路」の変化は

難易度が桁違いすぎるからこんな簡単には上手くいかないんだよな。

そこが人生の面白いところだって思ってる。同じぐらいクソなところでもあるが。

 

人生哲学って誰かの言葉を聞いても参考にすることにしかできなくて、

いくら話を聞いたり偉い人が書いてるそれっぽい本を読んだりしたとしても

自分っていう一人の人間の血となって肉となることは絶対にないから

自分なりの答えは自分で見つけ出さなきゃいけない。

 

というか自分なりの答えを見つけ出して欲しい。皆一緒じゃつまらないじゃん人生。

十人十色それぞれの答えがあるべきなんよ。

 

なんなら俺がたまたま こういう答えを見つけたってだけだから

今君がネガティブだとして、暗い答えしか見つからなかったとして。

 

でもそのままでもいいと思う。

生きようとして藻掻いてる人間って美しい生き物だしそういう人間が俺は好きだし

ネガティブなりにもネガティブなりの人生哲学はあるだろうし

その考え方を聞かせてくれたら俺は絶対肯定するだろうし

 

誰かが藻掻いて見つけ出した解答が間違ってるわけがない。

 

ちょっと脱線するしこれまた極論だけど俺って自殺に対して否定も肯定もしないんよね。

その人が考えに考えて選んだ選択を否定するのってなんか違うと思うんだよな。

仲いい人がいなくなったら寂しいからまた飲みに行こうぜとは声かけるけど。

何で死にたいって思ったの?って

えぐい質問のナイフで切りつけることはあるかもしれないけど。

そんな感じでどんな答えが出たとしても否定することはない。

 

仮に俺と同じような考え方になっても

「お~面白い考えになったね。素敵だね。」ってなるだけだし。

 

人生哲学だけはそれぞれの人生経験を経て、

考えて考えて自分で言語化しないとしっくりこないもんなんだよな。

 

少なくとも俺はそうだった。

いろんな人の考え方を自分なりに探してみてきたけど

どれもしっくりこなかった。

 

他の人の考え方は知らんからもしかしたら

「お前の考え方ええやん!」「俺もそれする~」ってなって

同じ考え方になれる人もいるかもしれないけど

そんな簡単にそれが出来たら皆人生苦しんだり悩んだりしないよな。

 

だからゆっくりでいい、自分のペースで生きていって欲しい。

結局は自分の言葉でしか自分を救うことはできないんだよな。

 

人は誰かを手助けすることができても自分を救える人間は自分しかいないんだよな。

 

今回残しておきたかった25歳 等身大の自分の人生観はこんな感じ。

一番書き残したかったことを全部ここに詰めたからここから先はわりと蛇足。

この考えから派生して出来た細かい自分の考えとかを引き続き書いてく。

メッセージ性のあるような気取った文章も多分あんまない。

俺に興味持った物好きは続きも読んでくれたら嬉しいな。

 

3.自己中心的思考は悪いことなのか

「どんな人生経験を経てきたのか」「人生観の芯」を語り終えたので

こっからどんどんとざっくジャパンという人間の考え方が開示されていきます。

いぇ~い。

 

「自分の事を好きになって自分の為だけの人生を送ろう」

「自己中心的人間の極致に至ろう」

 

なんて気取ったことを言ったものの「自己中の人間になる」ってそれでいいんかよ。

そもそも極致ってなんやねんって皆思ったと思うんよ。

 

まず世間一般で言う自己中心的な奴に対して良い印象を抱いてる人は殆どいないと思う。

 

でも俺はそんなの関係なく究極の自己中人間だと自負してます。

皆さん、俺に対してどういう印象抱いてます?

 

うざい黙れ失せろって言われたらそれまでなんですけど

多分そんなに悪い印象は抱かれてはいないはず。そうであって欲しい。頼む。お願い。

 

まあ尖りすぎて逆に丸くなってるような人間だって自分のこと思ってるし

尖ってる人間は一部に好かれて一部に嫌われるように世の中の人間は作られてるから

嫌いだったり悪い印象を持ってる人は少なからずいると思う。

そういう人はまずこの記事をここまで読んでないだろうからまああれなんやけどね。

 

ということで今俺に関わってくれてる周りの人間は

おそらく俺に対してそんなに悪い印象を抱いてるわけじゃないと思う。

本当に皆ありがとうの気持ち。

 

それはさておき、

なんで自己中のくせに悪く思わない人が一定数いてくれているのか。

それについて自分なりの見解を述べていく。

 

俺のいう「自己中心的な考え」は間違いなく世間一般のそれとズレている。

一言でいうと脳内ハッピー野郎。

伝わるかわからんけどこれも自分なりに言語化していく。

 

自分のことを自己中の極致にいるって自負していても

「傷ついてる人の相談に乗ったり」だとか

しばらく無職だったから今の俺には絶対無理だけど「誰かに飯を奢ったり」だとか

「寝れないから眠れるまで話相手なってくれん?」って言われて相手になったりだとか

「誕生日にプレゼントしたり誕生日じゃなくても急に何かをプレゼントしたり」だとか

「異性と1対1で遊んだら近所とか最寄りまで送ってあげたり」だとか。

そういうのも全然やったりする。

 

説明する方法というか言語化する方法が全然思いつかないから

とりあえず今あげた具体例に全部ツッコミいれていく。

 

自己中の極致だったら相談とか乗るだけ時間の無駄だし飯奢るとか金無くなるから論外だし

夜中に急に連絡きたらめんどくさいしプレゼントも奢るのと同様だし

自己中の極致にいるんだったらこんなん全部しなくね?って多分皆思ってるよね。

 

でもこれらは自分の中では全部一貫してて、

というか俺の行動全てがそうなんだけど全部自分の為にしかやってません。

 

まず大前提として自分は好きな人間にしか自分から好んで関わらないので

好きな人間と関わるのはどう転んだところで自分にとってプラスです。

男女問わず好きな人間と関わるのってプラスでしかなくない?

そもそも嫌いな人間とは関わらないしまあそういうこと。

人間は好きだけど一人の時間が好きだから関わるのめんどくせえんだわ。

 

じゃあ自分から関わらない人間は全員嫌いなのかって言われたら

勿論そんなわけないのだけれどそれについては今回は割愛。

 

納得いかない人がいるかもしれないのでもっとかみ砕いて一つずつ潰していく。

というかそうしないと説明できない。言語化難しい。

 

・傷ついてる人の相談に乗る

自分は頭がおかしいので人の悩みや相談を聞くのが大好きです。

自分以外の人間の考え方や価値観を聞くのが大好きなんです。

相談をするってことは少なくとも自分の考え方を相手に伝える工程が絶対入るよね。

その時点でもう聞かない選択肢はあり得ない。

そこで面白いなって思える考え方を知れたら吸収して自分のモノにするし、

自分のモノに出来なくても自分にない考え方とか発想を知れたら

それだけでもう「あぁ、人間っておもしろい生き物」だなあと死神の視点になる。

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でもそれだけじゃなくてちゃんと相手の話は聞くし

相手は何を求めて相談してるのか考えて

ニーズに沿った返答をしっかり考えて自分なりに答えますよ勿論。

ただ話を聞いて欲しいだけなのか、解決策を模索してるのかとかね。

 

だってそうしないともう二度と話を聞けないじゃん?

君っていう人間の変化とか価値観とかをもっと知りたいんよね。

沈んだ状態から立ち上がる人間ってかっこいいしさ、

俺もそういうことなんどもしてきたから少しでも力になれたらな、なんて。

 

こいつやべえやつだなってことが俺とあんま関わったことがない人間にも

流石に気付かれたかもしれないけど相談に乗る理由は全部これ。

 

真面目な話、俺に相談事はしない方がいいと思う。

考えることが大好きマンだから自分なりのちゃんとした返答はするし

人と関わり方がわからなかった時期があって

どうやって関わるのか、人の話を聞く方法とか

それなりに勉強してきたからまあある程度ちゃんと対応できると思うけれど。

で、求めてる答えが返ってきたりして心は軽くなるのかもしれないけれど

悩みがあってしんどくて相談してるのに人間観察始めるようなやつに相談はしないほうがいい。

この人ってどういう人間なんだろうなってことが知りたいから話を聞くんよね。

立ち上がった後の姿を見てみたいってのももちろんあるよ。

 

・飯を奢る

単純に飯を奢られた人間を見るのが楽しかったりする。

申し訳無さそうにしてたり感謝してたり、色々リアクション違うからさ。

あとは持ってる人間、出したい人が出すべきだと思ってるから特に理由はない。

 

強いていうなら「返報性の原理」の応用かな。

人間という生き物には

「誰かに何かをされたら何かお返しをしなきゃいけない。じゃないと申し訳ない。」

っていう思考が無意識に働くようになってるんよね。

 

セールスとかで最初だけ無料で使える製品を送るのもこれに基づいてて

ただで使わせてもらったし商品は悪くなかったしお金払ってもいいかなあって

思わせることで売り上げに繋がるっていう仕組み。人間心理を突いててすごい。

 

要するに

「奢ったら奢って貰えるかもしれん!!!!!タダ飯が食べたい!!!!!!!!」

これがちょっとある。人の金で食べる飯ほど美味しいものはない。

奢ってくれた人間には感謝してもしきれないしめちゃくちゃ幸せな気持ちになれる。

過去だけでなく最近でも年上に奢られることが何度かあって、感謝が凄い。

 

いっぱい奢ってもらったからその分は下に返せたらなって。

また自分の後輩とかに奢る形で返していけたらいいなあとか思ったりしてる。

そうやって上から下に奢ってく円環でループし続ければ世界はきっと平和になる。

いやなら奢らなければいいだけだし、俺はそうしたいってだけ。

 

ちなみに返報性の原理はこの項目だけに限らず人に

優しい行動をしている時は全部無意識下で意識してます。

自分は性格が悪いので優しくしたら

自分にも優しくして貰えるだろうっていう打算が正直少しあります。

 

でも好きだなって思う人間にしか優しくしないしまあ皆そんなもんよな人間。

興味がない人間にはとことん興味がないんだよな。

 

なんかどんどん自分の汚い部分を晒していってるみたいでおもろいなこれ。

俺から人離れていきそうで笑う。

でも去る者めっちゃ悲しいけど追わずの精神です。

 

どんどんいこう。

 

・寝れるまでの話相手になって欲しい

正直いうとこれは流石にめんどくせえなって思う時が多々ある。

だから相当気分が乗ってる時しか話相手にならないんだけど

基本的に俺は人間という生き物が好きだしその中でも俺が関わってるのは

特に好きだなって思える人間だけだから

そんな人間の話なら別に聞くのは苦じゃないし話すのも同様。

 

色々書いたけどそもそも人間と会話するのが好きだからそれ以上の理由はなかったりする。

ただただ好きなことをやってるだけ。眠かったら放っておいて寝る。

利害が一致した時だけだからまあ、うん。

 

・プレゼント

好きな人間が喜んでる姿をみるのって気分よくない?

努力してきたことが報われてる瞬間、やりたいことして活き活きとしてる瞬間、

どれもこれも見てて気分良いなって思う人間なんよね俺。

あれ、意外とこいつ性格悪くない...?!んなわけない。

 

だから喜んで欲しいなって思って何かをプレゼントをするんじゃなくて

ただただ好きな人間の喜んでる姿を俺が見たいだけ。

どっちかというと喜んでる姿を見てる俺の方が喜んでるまである。

それだけのことです。とても簡単な話。

 

ちなみに自分の為にお金を使うよりも

他人の為にお金を使った方が幸福度が高いってデータとかも確かあった気がする。

だからそういうのの検証も踏まえてやってるって感じ。

この男、実は結構論文とか研究のデータでチラっと知った理屈を駆使して生きている。

 

ちなみにプレゼントに送るモノはめちゃくちゃ迷うしセンスに自信がないから

その人が欲しい物言ってたらそのままあげるし

何も情報がなかったら俺が好きなものを押し付けます。

俺が好きなものを好きな人も好いてくれたらそれって平和じゃね?っていう。

脳内ハッピー決めてる。

 

・家の近くとか最寄りとか改札まで送る

くどくなるけどこれも自分の為。

解散の流れになって、今日楽しかったしもうちょっと話してたいなって思った時に

その時間を一秒でも増やすためには送るって行為が一番都合いいんよね。

10分、20分ぐらい追加で話せる時間増えるのがほんとにちょうどいい。

長すぎたら逆にめんどくさいしこういうのはほんの少しだけ増えるから価値がある。

 

ちなみに話が大きく逸れるのであえて文字をちょっと小さくしてるんだけど

自分はこいつ面白いな、話したいなって思った人間しか飯とか酒誘いません。異性とか一切気にせん。

※ネットの人とか年上の人とかは忙しそうだなとか自分なんかに時間割かせるの申し訳ないなって

 謎の気を使ってしまうから基本的に例外 なんか誘いたくても誘えない病に犯されてる。

 

恋愛とかそういうのはわりとどうでも良くて、男女って根本的な考え方が違ってることが多くて

その違いが面白くて好きだからこの人面白そうだな話聞いてみたいなって誘うのがよくある流れ。

だから目的はただただ話すこと。それだけ。

 

性的なことはどうでもいいって言い切ったら嘘になるけど、少なくとも話することを目的としてるから

下心をもって声かけたことは今まで一度もないし持ち帰ったこともない。

脳裏によぎったことは何度も思ったことがある。思うぐらいはオスだからしょうがない。

今後もずっとそうなのかはその都度その都度の未来の俺にしかわからないことだから断言できないけど

少なくとも今までそういう目的だけで異性と関わったことが一度もない。

 

別に「好きな人としかしたくない」みたいな乙女的思想があるわけではない。

ただなんというかめんどくさい。性欲は人並みにはあるんだけど結局めんどくさい。

彼氏いても下心ゼロだから関係なく飯誘うし断られても別にいいやとしか思ってない。

俺の脳みそはちゃんと頭についてます。よろしくお願いします。

 

話してて楽しい相手とごちゃごちゃして縁が切れるのは絶対嫌だし

それで切れてしまう可能性が1%でもあるなら普通に話してた方が良くないか?って思う。

どうでもいい相手なら別になんでもいいんだけどそもそもそんな人に時間は割かない。

人間として好きな人ならなおさらそう。普通に話してるだけで楽しいからそれだけでいい。

 

彼女がいたらそれだけでいいし、そこまで性に飢えていない。

今までに何人とやったとか自慢してる男 世の中にいっぱいいるけど自慢できるぐらいの人数揃えるより

金玉袋ひっぱってる方が楽しい。意外とちんちんはマントヒヒみたいになる。

勿論、人数自慢を否定したりはしないよ。

行為自体は楽しいから正直好きだけどそこに執着はないんよね。

人として好きだなって思える人と話すのってすごく楽しいじゃん?

で、それよりももっと俺がマントヒヒを好きなだけの話。

これが最近多いと言われている草食系男子の思考回路なのか俺がただマントヒヒなのかは謎。

ちなみに向こうがその気なら負けません。そんなことこの25年間なかったけどね。

お前本当に男?って言われたことすらある。あんときは童貞拗らせてただけか。

だからまあ、なんだ。楽しく関われたらそれだけでいいんよね。

 

マントヒヒもそう言ってます。

 

いや、一度待って欲しい。

一体こいつのどこがマントヒヒなんだろうか。

どこをどう見てもマントヒヒっぽくない。

マントもない。ヒヒもない。

マンでもないしトヒヒ要素も一つもない。

どこからどう見てもただの猿やん。

お前は一体どこがどうマントヒヒしてるんだ?

名は体を現すというのなら 体でその名も現せ。君の名は…。

 

というか俺が想像してた動物はそもそもマントヒヒじゃなくて

ムササビとかモモンガだったのかもしれない。

だってマントヒヒって金玉袋をひっぱたら似るというか

もうちんちんそれそのものじゃん。

 

だいぶ話逸れてしまったんですけどマントヒ…。

そんな感じで結局自分の為だけに送り届けてます。

 

なんか女性評価がほんの少し上がりそうなことを書いた気がするので評価下げます。

プラスマイナスゼロまで持っていきます。

 

遊んだときに楽しいって思わなかったら絶対帰り道なんて送らないし

夜道が危ないだとか身の安全がどうだとか知ったこっちゃない。

勝手に一人で帰って欲しい。俺も一目散に帰る。

 

あれ、もしかしてこれマントヒヒとか言ってたからマイナスにしかなってなくないか?

 

・・・。

 

 

そんなこんなで人に優しくするのはこんな考え方が故です。

どうだろ、意外と普通?それとも頭おかしい?

 

あと飲食店とかで食器が片付けやすいようにまとめたりとか

店出る時に「美味しかったです!ご馳走様でした!また来ます!」って言ったり

店員さんにもできるだけ丸く優しく接するようにしてるんだけど

これも今まで書いてきた流れで察するよね。

 

自分が飲食でバイトしてた時にお客さんに優しく接されると

めちゃくちゃ気分良かったから俺もするようにしてるっていうだけ。

 

そうして俺が優しく接した店員が客になった時、また他の店員に優しく接していって

その人もそうしてってループが発生したら世界は平和になると思う。

目指せ世界平和。ラブアンドピース。

 

あとちょっと主題と逸れるけど俺、他人の力を借りるのがめちゃくちゃ苦手で

理由もなんとなくしか自分で把握できていないんだけど

多分出来る限り自分一人の力で生きてみたいんだと思う。

それと無意識下で返報性の原理を避けてるんだと思う。

 

誰かに何かをしてもらったら返さなきゃいけない

っていう縛りから無意識に逃げてるんだと思う。

人に恩を売り続けたいんだと思う。売られたくないんだと思う。

他人に弱みとかあんま見せたくないんだと思う。

そういうのは自分と大事な人だけがわかってくれてたらいいから。

ふとそう思った。

 

でも飯は奢られます。

他人の金で食う飯ほど美味しいものはない。

 

 

 

以上が自己中心的思考は悪いことなのかって内容なんですけどどうでしょう?

屁理屈って言われたらそれまでなんだけど全部自分の為だけに行動してるんよね。

 

ちなみにこういう自分の行動一つ一つを何かしら理由づけて行動するのって

めっちゃ大事なことだと思ってて、なるべくするように心がけてます。

俺の場合は自分の為だけに生きるようにしてるから大体は全部説明つくしめっちゃ楽。

ずっと頭働かせてたら疲れるからもうこれは沁みついてる。

 

4.好き嫌いの判断基準 ~人間として or 異性として~

基本的に男女問わず好きな人間としか関わらないとはいったものの

そもそも自分はどんな人間を好きになるのか?それを書いてく。

 

本能的なことだし自分でも現段階でなんとなくしかわかってないことを

ぶっつけ本番で言語化するのって凄く楽しいし

その為にこのブログを作ったから世界中に感謝の気持ち。

感謝するネテロ

 

で、どんな人間を好きになるのか。

一言でいうと「面白い人間」が好きなんよね。

 

これだけだとあまりにも言葉が抽象的すぎるからもう少しだけ砕くと

「人間らしい人間」と「自分らしさがある人間」かな?

 

・人間らしい人間

人間とはこうあって欲しい、こうあるべきだって思う要素が

自分の中でいくつかあってその要素を抱えた人間が好きなんよね。

 

「人間とは考える葦である。」

かのパスカルは人間をそう表現したけど自分が好きな人間はそのまま考える葦なのかも。

 

自分の弱さを自覚して何かに悩んで苦悩するのが人間のあるべき姿だと思うし

そういう人を見ると「ああ、めっちゃ人間してるなあ」って思って心が温まります。

知人の悩み相談が聞きたくなる乗りたくなる理由その1。

残りの理由5億はさっきも言った通り他人の考え方が知りたい変態だからです。

 

ちなみにこの感覚は自分にも適応されてて何かに悩んで苦しんでる時ほど

「ああ、俺めっちゃ人間してるな」って。

 

意味不明なことが浮かんでテンションがあがります。

苦しんだその先に得れるもののリスクリターンが見合ってなさそうなら

すぐに投げ捨てることも勿論ある。

 

悩みを乗り越えたら乗り越えるほど人間として強くなる感じがするし

いつかはマグマラシに進化してバクフーンになりたいなって思いながら生きてます。

目指せポケモンマスター。

 

悩みのない人生なんてつまらなくないか?って思うんよね。

 

悩みがあるからこそ人生は映える。

ずっと何もない平坦な人生ほど面白くないものはない。

 

・自分らしさがある人間

自分らしさが存在してる人間ってどう転んでも面白いし

好きにならない選択肢が存在しないんだよな。

 

一挙手一投足、何もかもがこいつらしいなって思えるような人間だと本当に堪らない。

話さなくても好きだし見てるだけでも好きだし関わらなくてももう好き。

 

人間ってほんと十人十色存在するべきで。

皆それぞれ自分らしさを抱えて生きてるはずなんだよな。

だからそれをもっとオープンにして生きて欲しいし教えて欲しい。知らしめて欲しい。

Mrs.GREEN APPLEもSpeakingで「ねえ、聞かせて」って歌ってたし聞かせてくれ。

 

日本の教育的に個性って潰されがちなイメージがあって。

個性が潰されたら自分らしさはどんどんと薄れていくよね。悲しい。

 

学校で言うと成績が優秀な人が正解、成績が悪い人は不正解みたいな。

確かに成績の良し悪しは大事な判断基準の一つではあるけど

それだけで人としての正解不正解、優秀劣等が分かるわけなくね?って思う。

成績だけを判断基準にするのは何か違わなくないか?って思う。

代替案とか何も思いつかないから俺に言えることはそれ以上なにもない。

 

特に中高生だと自分っていう人間のスペックを判断する物差しが少なすぎて

テストで点取れなかっただけで自分は頭悪いんだ。

ダメな人間だって悩む人がいっぱいいる。

 

「そうじゃない。君は勉強ができないだけであって頭が悪いわけじゃないんだよ。」

「他に才能を発揮できることがあってそこに自分らしさが存在してるんだよ。」って。

「それを磨けばいいじゃん。成績なんて些事たるものじゃん。」って

誰も教えてくれない。少なくとも学校じゃそんなこと教育しない。多分。知らんけど。

 

なんか何が言いたかったのかわからなくなってきたけど

皆何もかも一緒だったら生きてて楽しくなくね?

 

皆違うからこそ共通点があったら面白いなって思うし

人間って生き物が愛おしく感じるんだよな。

 

ちなみに自分と近しかったり似てる存在を好きになるように人間はできてるらしくて

自分はその範囲がわりと広めなのかもしれない。

 

そう、色々御託は並べたけれど

基本的に人間っていう生き物が好きなんだよな俺。

 

ちなみにそんな俺でも好かない人は存在しているのでそれもいくつか。

 

本能的に、生理的に無理だなっていう言語化できない理由がまず一つ。

これだけはもうどうしようもない。

 

他はあんまり思いつかないんだけど

考えてる人が好きだからその逆で自分では何も考えず答えを聞いてばっかの人とか。

でもそれもそういう人間って生き物だから別にそんなに嫌いでもないかもしれん。

 

あとは差別することが当たり前になってしまってる人とかだろうか。

個人を見ずに括りだけで善悪を判断して切り捨てるってなんか違わなくないか?って。

まあ別に差別するのも個性の一つだから絶対的に悪いとは言わないけれど。

 

まあでもなんだろ。

少なくとも差別的発言を聞いて愉快な気分になる人間はそんないないと思うから

あまりを言語化したり態度に出すべきではないと思う。

絶対的にブラックジョークだってわかる言い方だったら

その集団の中ではユーモアになるから一概に悪いとは思わないけど

それでも誰かが傷つく可能性は間違いなくあるだろうし。

 

とはいってもどんな会話をしていたとしても

全人類が傷つかない会話なんてあり得ないだろうし

そんな丸すぎる世界はそれはそれで面白くない気もするしそれも難しいか。

 

う~んなんだろ、この辺の話はほんと難しい。

基本的に何かを大きく否定するって行為が

あんまり好きじゃない自分の性格も相まってかなおさら難しい。

 

とりあえず好き嫌いはあって当然だから思うのは否定しないが

なるべく心に留めておいて欲しいなってのが自分の中の意見。

 

色々言ったものの人間って生き物の起源というか根源というか、

どっか根底には闘争って考えが根付いているから

絶対に差別や戦争はなくならないだろうし

こんな綺麗ごとじみた言葉を並べてる俺もそれに近しいことは絶対してるだろうし

 

皆が皆 意識して生きていかないと自分の中だけでも

完全に無くすことはできないんだろうなって感じがする。

 

人間って生き物は本当に難しい生き物だと思う。

 

 

 

そんなこんなでどんな人間を好きになるのかってのは

なんとなくわかってもらえたと思うので

次はどんな異性を好きになるのかってことに関して書いていきます。

 

え~、正直何もわかりません!w

 

こんなの言語化できるわけない。

好きになった人を好きになるとしか言いようがない。

 

人はなんで生きるのかってことと

同じぐらい一生考えてきたんだけど未だに全然わかりません!へけっ。

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本能なんだよな。多分。

恋すると盲目になるし理屈じゃなくて本能だから

言語化なんて出来ないんよ知らんけど。

 

ちなみに俺が一番好きな

UNISON SQUARE GARDENってバンドの「夕凪、アンサンブル」って曲には

 

「人類はきっと誰かの都合で 背中にネジ穴が空いてる

 不完全なまま生まれたから 誰かに恋をする」

 

って歌詞があって、ここめっちゃ好きなんよね。

人は皆一人じゃ生きていけないし。

そういうことなんだなって感じがする。知らんけど。

 

知らんけど。

 

それはさておき。

異性として好きになるのに少なくとも一個だけ明確にわかってる絶対的な条件があって

「一人の人間として好きになった人しか異性として好きになれない」っていう。

 

いや~そんなん言うまでもない。

誰でもそう。それはそうに決まってる。

 

だから異性として好きになる人も

人間として好きになる条件と同様「面白い人」ってのが大きい。

あと強いて一つ挙げるなら「自分と近しい要素を持ってる人」だろうか。

これも人間として好きだなって思う条件だから一緒やないかーいって感じ。

 

この文章をここまで読んだ人にはもう言うまでもないだろうけど

この人間はめちゃくちゃ変わってます。

自分でも自分が何を考えてるのかあまりよくわかってません。

だからこうやって文章にして俺ってこういう人間なんだって再認識してる。

 

自分と近しい要素を持ってる人間じゃないと俺の近くにいたら息苦しくなるんよね多分。

それに俺自身も一緒にいて落ち着く人間を求めてるからある程度価値観近しくないとダメ。

今までちゃんと好きになってきた人間は皆、

何かしらの我を持った変な人ばっかだったし多分そういう事。

 

この記事を書いてる現在はパートナー的存在はいないけど

結局恋人がいたとしても自分の時間が一番大事だし

自分の為に生き続ける考えは変える気がない。ごめんね。

俺はそうすることでしか生きていけない。

 

一瞬も飽きちゃいないから自分の人生は誰にも譲る気はない。

 

でもまあ自分の為が相手の為になることっていっぱいあるし、

最初っから相手の為に◯◯した!ってお前何様だ?って感じじゃない?

そういうこという人に限って俺は◯◯してあげたのにとか

やってあげたのにみたいな頼んでもないことを盾に使ってくる。

 

自分の為に生きてたらそれが何故か相手の為になってるぐらいがちょうどいいよ。

 

自分にとって恋人に対する感覚は

「常に傍にいなきゃいけない」ってよりは

「傍にいてくれた方が人生楽しいな」ってのが強い。

 

だから束縛とかは絶対しないし好きに異性と遊んで欲しい。

報告されたら嫉妬してしまうから黙って勝手に遊びに行って欲しい。

自由に自分らしく生きてる人間が一番輝いてるし

そういう人間に惹かれるんだよな。

 

それぐらいの丁度いい温度感がすき。丁度いい温度感であれ。

 

急にユニゾンの歌詞のフレーズを多用しまくってる。なんか頭に雪崩れ込んでくる。

この番組は御覧のスポンサーの提供でお送りしました。

 

 

5.後悔しない人生を生きてきた

ちょっとずつこの記事を書くことに飽きてきて雑になってきたのが

バレてきた頃合いだと思うのでこの章で終わろうと思う。

最初からこの話は書くつもりで記事を書き出したからこれだけは書く。

 

今まで生きてきた25年の人生の中で自分には一点の曇りもありません。

(この画像が好きだから使いたかっただけ)

全てが『正義』だ

今までの人生に何一つ後悔をしていません。

 

なぜなら

「全部自分で選択して自分を好きになれることだけをやってきてきたから」

これに尽きます。

 

何故後悔をしていないのかを伝えるためにも一旦軽く経歴を書きます。

大学入学直前までの流れは一章で長ったらしく書いたから今回は簡潔に。

 

中学、高校でそれぞれ不登校になり、高校卒業後 大学入学まで2年間引きこもり。

働きたくなさすぎて就活せずに大学卒業後、働きたくなさ過ぎて3か月ほど無職。

働いてみるも様々な理由が重なりに重なり退職を決意し再びしばらく無職。

現在はまた有職に戻ってしまったが前職とは無関係な職種。

 

こうやって改めてみたら思ったよりグロくて流石にちょっと今後悔した。

この章のタイトルが冒頭で破壊されてしまって笑った。

後悔してました。終わります。

 

~完~

 

なんていうのは冗談で、これでいいんよ。

この無茶苦茶な経歴が自分らしいんだよな。

 

という一連の流れが今回の章で言いたいことの全て。

自分だけが納得できる屁理屈、こじつけを作り出す。

俺がこの章で言いたいのはこれです。

(飽きたのが5億%原因だけど死ぬほど浅い内容しか書けなくて笑ってる)

 

どんな失敗をしたとしても、どんな選択間違いをしたとしても

自分の中でそれを「しょうがない」「むしろこれがいい」「このおかげで今がある」

どんな理由でもいいから何かしらの形で納得できるように落とし込む。

それが後悔せずに生きるための自分なりの方法です。

 

結局は「起きた出来事をどう捉えて自分の中に落とし込むか」って話だから

何か起こったことに対してあの時ああしとけばって思えばそれは後悔だし

そこでそう思わなければ後悔してないってことなんよね。

 

ネガティブだとかポジティブだとかもこれと同じだと思ってて、

 

「起きた出来事(ここは変えようがない)に対して

 どう思うのか(自分でどうにでもできる)」

 

マイナスに捉えればそれはネガティブだしプラスに捉えればもうそれはポジティブ。

だからネガティブとかポジティブとかどうでも良くないか?

って考え方にも繋がってくる。

 

一応今までの記事の流れに沿って経歴を一行ずつ砕いていく。

 

・中学、高校でそれぞれ不登校になり、高校卒業後 大学入学まで2年間引きこもった。

→その2年間があったから今の自分になることが出来た。

 他の誰が無駄な時間だって言おうが関係ないし大事な時間だった。

 

・働きたくなさすぎて就活せずに大学卒業後、働きたくなさ過ぎて3か月ほど無職。

→働きたくない。それ以上でもそれ以下でもない。

 いっぱい遊んでゲームして最高の日々だった。

 

・働いてみるも様々な理由が重なりに重なり退職を決意し再びしばらく無職。

→この職を生涯やり続けて天寿を全うしようと思えなかった。

 細かいこと理由はいっぱいあるが何も面白い理由じゃないので割愛。

 

・現在はまた有職に戻ってしまったが前職とは無関係な職種。

→やりたいことをやろうと思って現職についただけだから前職なんてどうでもいい。

 やりたいことをやらない人生 is クソ

 30代までに人生を固めるのが自分の人生設計だし

 まだ若いからキャリアとか今後どうにでもできるしどうでもいい。

 

経歴に関してツッコミを入れるとこんな感じ。

 

結局は全部自分がどう考えるかなんよね。

こんなクソみたいな経歴を送ってても何一つマイナスに思ってるところがない。

思った方がいいって言われるキャリアしてるのはわかってる。

正直な話、客観的に自分を見たらだいぶ終わってる。

でも主観的に自分を見たら別にそうでもないからそれ以上の感情がない。

 

下を見たらもっと下がいるから安心してるなんて話ではない。

こう見えて意識高い系のクズだから下なんて眼中にない。

というか生まれ育ってきた環境、関わってきた人間が違う人間と

自分を比較して上も下もなくないか?ってのが率直な意見。

 

自分より凄いなって思える人は素直に尊敬するけど

凄くないなって思える人に対して蔑むとか特別な感情は抱かない。無。

 

人間は好きだし、人の考え方を知るのは好きだけど

人が何をしているかとかには全く興味がない。

自分は自分だから他人と比べたりってことを基本的にしないようにしている。

 

というか他人と比較して良いことなんて殆どないと思ってる。

自分より上の人に負けないように努力することは良いことだが

それ以外と自分を比較しても何も変わらない無か、

意味も何の価値もないゴミみたいな安心感が得られるだけ。

 

そんなこんなでこれまでの人生に何も後悔なんてしていないし

今までしてきた全ての経験のおかげで今の自分がいるし今後もずっとそう。

 

今の自分がいるのは過去の自分が生きてきたからだし

その過去の自分を否定すると同義の後悔をしたくないってのが自分の考え。

別に後悔してもいいと思うよ。これも否定しません。

自分はこうだよっていうだけ。

 

締め方がわからないからこの章はここで終わり。

 

6.嫌いなことをあえてする楽しさ

ごめん。書いててもう一個だけ書きたくなったからこれで本当の最後。

これに関してはもうタイトルのまんまで特に書くことはないので一瞬で終わります。

多分。そうあってくれると願いたい。

 

具体例を一個あげると俺インスタのストーリーあんまり好きじゃなかったんですよね。

 

居酒屋での乾杯だとか誰かと遊んでる時に身内でしか笑えないストーリーだとか

そういうの載せてる人ってよくいるじゃないですか?

 

「楽しかった瞬間を映像として残したい」

そこにそれ以外の理由は殆ど存在しないと思うんだけど

あのストーリーの意味がさっぱりわからない時期があったんよね。

 

なんだ?こいつら「自分は今楽しい空間にいるぞ」ってことを周りに見せつけたいのか?

ストーリー撮ってたらその場の楽しい瞬間を100%満喫できなくないか?

撮影する方に30%ぐらい意識もってかれないか?

なんでそんな勿体ないことするんだ?

その瞬間をもっと楽しもうよ。

 

そんな意味不明な見方でしか捉えることができなかった時期があったんよね。

我ながらこれに関しては特に意味不明すぎる。本当に。

 

そういう意味不明な見方しかできなかったこともあってか、

ストーリーがどうしても受け入れられなくて

登録してから2年近く見るだけで何も投稿しなかったんよね。

 

で、ある日突然食わず嫌いするのは良くないなって思った。

 

ラーメン食った!っていつもツイートしてたような内容だったり

 #nowplayng(今聞いてる曲)だったり

軽音やってたからライブに出たらその都度、切り抜きを少し載せてみたりとか

適当に何度かストーリーを投稿してみたら一瞬でその理由がわかった。

 

「楽しかった瞬間を映像として残したい」

これ以外にどう考えても理由が存在しないんだよな。

 

たまに匂わせとか嫉妬させる為にやってる人もいるかもしれないけど

大多数の人はただただ楽しかったからその瞬間を映像として残したかったり

Twitterで〇〇遊んで楽しかった!って呟いてるのと同様で

共通の友人に「こういうことあったよ」ってただ報告してるだけなんだよな。

 

それはそうだ。SNSなんてその為にある。

 

自分は独占欲が歪んだ方向に強すぎるせいで

「楽しい記憶は自分とその当事者だけのものであまり共有したくない」

「自分とその人だけの記憶として当事者間だけの秘密にしたい」

なんて考え方を持っていたことに気付けた。

 

他人に自分の価値観を強要する趣味は持ち合わせていないし

人のやりたいことを邪魔するのも好きじゃないから

自分と遊ぶ瞬間はあげたきゃ好き勝手にSNSにあげていいってスタンスだったけど

自分からはあげることだけは絶対にしなかった。

 

今でもその考え方は変わってないから人といるときにストーリー撮ることはないし

仮に撮ったとしても自分が飲む酒一杯を映すだけとかが多くて

俺のストーリーに人が映ることは殆どない。

 

何度か投稿してみただけで一瞬で気付いたんよね。

 

自分でもなんでこんな簡単なことがわからなかったのか理解できなかったけど

その理由は触れてこなかったから。それだけのことだと思う。

 

「なんや、こんな簡単な理由やったんや」って。

 

自分の価値観に存在しないものってまず頭に浮かばないから

というか浮かべることがそもそも不可能だから

理由に気付いた時には簡単すぎて思わず笑ってしまったんよね。

 

食わず嫌いして一度も触れなかったから

こんな簡単なことにも気付くことができなかった。

それだけが理由じゃない気もするけど

 

それ以降、食わず嫌いだけじゃなくて ちゃんと触れて嫌いになったものも含めて

今まで自分が嫌いだと思っていたこと、嫌いだった食べ物、嫌いだったバンドとかを

あえて色々と思いつく限り試して、触れてみるようにした。

 

そしたら嫌いな食べ物は結局嫌いなままなんだけど

別に食べれないことはないなって思ったり、

好んでは食べないけど好きな人がなんで好きなのかなんとなくわかった。

嫌いだったバンドの中にも好きだなって思える曲があったりした。

歌詞が嫌いなだけで曲は好きなことにも気付けたりした。

君の運命の人は僕じゃないとか女々しい歌詞があんま好きじゃないだけだった。

焼けた肌が似合う洋楽好きな奴だとかそういう歌詞があんま好きじゃないだけだった。

どっちも曲というかメロディーは好きなんだよな。

歌詞が好きな人には本当に申し訳ないと思ってる。ごめん。

 

嫌いだって思ってた世界には、意外と好きが隠れていたり、

意外と嫌いじゃなかったんだなって思えるものが溢れていた。

単純に世界が広く見えるようになった。視野が広くなった。

 

嫌いってそんな嫌いじゃなかったんだなって思った。

 

好きの反対は無関心だなんて昔の人は言ったけれど

案外本当にそうかもしれないな なんて思った。

というか本当にそうなんだと思う。

嫌いだって思ってた自分のことも結局は好きだったし。

 

世界にはたくさんの素敵なことが溢れていて、

その全部に触れるなんてことは当然不可能だけど

目に見える範囲だけでも食わず嫌いせずに一度触れてみて欲しいな。

 

そしたら意外と悪くないなって思えることが

実は世界中に満ち溢れていたことに気付ける。

 

ほんの少しだけ、人生を楽しく過ごす為の道具が増える。

 

だから俺は大嫌いな労働を再び始めた。

これに関してはそうしないと生きれないだけだが

 

7.最後に

ということで色々と述べてきましたけどどうでしたか。

ここまでなんと約2万3000字。いや~だいぶ途中で飽きてたなあ。

少しでも読んでて面白いなって思ったり皆の価値観に響く何かがあったり、

自分と同じ考え方だなって思ったり、変な考え方してるなこいつって思ったり。

ここまで読んでくれた物好きがそもそもいるのかって話だけど

何かしらの感想を抱いてくれたら嬉しいな。

 

心に何かを抱えてたなら少しでもそれが軽くなってくれたらいいな。

このままの自分でいいんだって思えたらそれがいいし

変わろうって思って努力することを決意したならそれがいいし

どんな君も受け入れます。

全部君が決めたことだしそれがきっと正しい。

 

どこにでもいる少し変な人間が自分の思ってることをツラツラと書き続けただけで、

誰かに読ませる為ってよりはこの記事すらも自分の為に書いてただけで。

 

今回絶対書きたいことは最初にいくつか決めてたけど

残りは思いつく度にその都度適当に詰めたしそのせいで何度も脱線するし、

当然読みずらいだろうし長すぎて誤字脱字文章の違和感とか修正しきれてないし

修正するのもめんどくさくなって投げ捨てて投稿した。

 

揚げ足を取ろうと思えばいくらでも取れる記事になってしまったけど

俺が紡いだどこかしらの文章から君が新しく言葉を紡いで、

そうして君自身にだけ響くメッセージを作り出して。

 

この記事をきっかけに一つでも何か変化が起きててくれたら嬉しいな。

 

まあどれだけ時間をかけて読んでくれたとしても

1ヵ月もすればこんな記事があったことなんてたいていの人間は忘れるだろうし

正直な話、何か起こった感情も変化も全部忘れて消えて泡になってなくなると思う。

あまりにも日常には情報が溢れすぎてるからこんな記事大した印象には残らない。

でもそれが人生って感じする。それでいいしそれがいい。

 

感想とかコメントしてくれたら嬉しいし

もはやコメントもせず心に秘めててくれてても嬉しい。

ここまでざっくジャパンという人間の我を

ただひたすらに書き殴っただけの文字列を読んでくれただけで嬉しい。

 

自分は間違いなく万人受けする人間ではない。

一部の物好きにしか好かれない。

そういう人間だってわかってるから、だからこそ嬉しいみたいなところがある。

 

勿論そうじゃなくて長すぎてアホちゃうって途中で読むのをやめた人だったり

そもそも俺に興味がなくてなんとなく開いたはいいけど閉じた人もいっぱいいると思う。

 

でもそれでいいじゃん。

好きも嫌いもあるのが人間だしそういう感情を表に出せるのも出せないのも人間だし

どんな人間であれ俺は人間という生き物が基本的に好きな生き物です。

 

もし相談とかあったら自分は変態なのでマシュマロとかこことか

Twitterの@zaq_japanにクソリプを飛ばしてくれたりだとか

どこかしらで投げてくれたら喜んで答えます。

 

他にも自分はこういう考え方で生きてるよって

自己顕示文章を送り付けてくれても喜んで読みます。

 

全く関わりのない知らん人から急に送られてきたら

お前誰やねんとはなるけど楽しく読ませていただきますのでお待ちしております。

 

あとこういう記事書いてくれとか希望あったらどうぞ。

面白そうだったら書きます。めんどくさくなったり気が乗らなかったらやらんけど。

途中まで書いてて投げ捨ててる下書きの記事が実は5個ぐらいある。

そんな気分屋です。

 

ということで死ぬほど長くなったにもかかわらず

最後まで読んでくれた全人間の未来に幸あれ。

マントヒヒに幸あれ。マントヒヒに栄光あれ。