ざっくジャパン

その時に書きたいことを書くなんでもブログ。

あけましておめでとうございます。

みなさん。あけましておめでとうございます。

今年1発目の記事なので誰がなんと言おうとあけましておめでとうございます。

この記事は1月に書いた記事です。なのであけましておめでとうございますなのです。


挨拶を終えたのでさっそく本題に入ろうと思う。

世の中には理解できない事や理解できない人間が一定数存在する。


「考えればわかる」

「話し合えばわかる」


これらは全て綺麗事である。


なんて冷たい言葉から始まる今回の記事は綺麗事と相反する汚物事について。

汚物事ってなんやねん。初めて使ったわ。

とりあえず食事中の人は今すぐこの記事を閉じるように。


まあなんだ、綺麗事とは言ったものの、話し合いは可能ならするべきではある。

納得できるできないにせよ相手の事情を知れば行動の理由や心理を理解することが出来る。


共感はできずとも理解はできる。

順を追って考えればわからないことなんて大抵存在しない。


理屈が通っているものなら言うまでもないし

感情論でも感情という理屈が通っている為、理解はできる。


「わからない」は「前提知識」が不足しているから生じる。


だが改めて言わせてもらうと、これらも全て綺麗事である。


個人的に綺麗事であって欲しくはないが、世の中そううまく回っちゃいない。

どうしても絶対的に理解できないことは一定数存在してしまう。


ある日のこと、職場で腹痛に陥りトイレに向かった。

洋式トイレの個室に入ろうとした瞬間、事件は起こる。

いや、既に起きていた。


ブツが流れていないのである。

そう。ブツが、流れて、いないので、ある。


何故こんな事が起きてしまったのか。

刹那、脳内に思考が駆け巡る。


流し忘れたの...か...?

いや、これ見るの今月3回目だぞ。あり得ん。不快すぎる。

あまりにも高頻度すぎるやろ。ふざけてる。なんやねん2024年。

うんちいっぱい見たから運気があがるってか?やかましいわ。


一体何故なんだ。

他人に自慢のブツを見せびらかしたかったのか?

他者に見せることに喜びを感じるタイプの人間なのか?


だがこれらはおそらく理由として成り得ない。

この場に第三者はいなかった。


見せたかったなら目撃者のリアクションを確認するところまでセットなはずだ。


何もかも見えない。全てわからない。

いつまでも情報が完結しない。

ブツを目撃したその姿はさながら無量空処に当てられた呪霊。

f:id:zaqjpn:20240417162449j:image


そう、本当にわからない。理解ができないのである。

だがこの男、わからないことがあると突き詰めたくなる性格。


まずは状況を整理することから始めてみた。


公共のトイレで他人のブツとエンカウントする“ハプニングうんこ現象”


この現象には学生の頃から定期的に悩まされてきた。

おそらく読者の皆様も一度は頭を抱えたことがあるだろう。


ついに長年の悩みと対峙する時が訪れたということ。

この現象を避ける方法はないか、そこから考えてみることにした。


まず誰しもが思いつくこととすれば公共のトイレを使わないこと。

だがもちろん、それは事実上不可能である。


確かに公共のトイレを使わなければハプニングうんこ現象が生じることはないが

俺そのものがハプニングうんこになってしまう。


公共のトイレを使うことは避けられない。


ーーー人間という生き物は

     誰しもが“うんこ製造機”なのだから。


何を隠そう俺は27年もの間、毎日欠かさずうんこを製造してきた。

いわばうんこ職人と呼べる存在である。

独自の工房で独自の加工をしうんこを製造してきた。


27年もひたむきに何かを作り続けてきた職人といえばもはや巨匠と呼べる。

そんなうんこ巨匠だから言えるのだが...  


いや、この話は死ぬほど関係ない。

とにかく公共のトイレを使わないというのは不可能だ。


公共のトイレを使う。

これを大前提として引き続き考察を進める。


この場合、ハプニングうんこ現象を避ける為にはどうすればよいか。

やはり一番の鍵となってくるのが個室の選択であることは言うまでもないだろう。

 

個室の選択を誤らなければハプニングうんこ現象に見舞われることはなくなる。
通常の個室とハプニングうんこ個室の選択を絶対に間違えてはならないのだ。

 

どうすれば間違わないのか、次はこれについて考えてみることにした。

 

ここで重要なことは一つ。

どの段階でハプニングうんこ現象が確定するかである。

確定する段階で個室の選択を変更すれば我々に持たされるのは勝利である。


まず俺がトイレという空間に立ち入った時点では事象は確定していない。

 

もうその段階でハプニングうんこ現象が起きてるだろとツッコミを入れたい人の気持ちはわかる。


でもそうじゃない。それは何故か。

シュレディンガーの猫を知っているだろうか?

いわばこれはシュレディンガーの猫と同じ。


俺がブツを目撃するまでは事象は確定していないと言える。 

先駆者がブツを流している可能性と流していない可能性が同時に存在している。

 

それに、もしかしたら個室に入った瞬間にブツが流れるかもしれない。

個室に入った瞬間にブツが異空間から転移してくるかもしれない。

俺が個室に入り便器を目撃し、ブツが流れていないことを証明した瞬間に事象は確定する。

 

うんこがある状態とうんこがない状態が同時に存在している。

云わばこれはシュレディンガーのうんこ。


それなら回避することは不可能ではないのか。

あまりにも運ゲーすぎる。

おそらく人類はこれを運命と呼ぶ。

うんこだけに。


避けようがない運命とうんこに直面してしまったことにより、振り出しに戻る。


何故、ブツを流さない人がいるのだろうか。

 

一つ言えることは起きてしまったことはしょうがない。

脱糞した者に責任を求めて責めても誰も幸せになれない。

この鬱憤は誰かの脱糞と一緒に水に流そうではないか。


流さなかった理由がわからないなら次に考えるべきなのはただ一つ。

流さなかったのではない。流せなかった理由があるのだ


何かのっぴきならない事情があり、ブツを流せなかった。

そう仮定すると全てに説明がつく。

なにより流されずに便器に残ったままのブツが動かぬ証拠である。


ではその流せなかった理由は何か。

それについて改めて考えていく。

例えばそう、両腕が欠損している場合。


この場合、ブツを流す為の労力が尋常じゃない。

これなら理解はできる。


いや、でもそうじゃない。

何故か?前提条件が成り立たないからだ。


まずトイレに行く。そして個室に入る。

両腕が欠損している場合、ドアを閉められない。

が、ここまではまあいいとする。閉めなくても脱糞行為自体は可能だ。


では次に何をするか。

ズボンを下ろす。これが不可能ではないか?

流さないで出るどころか、パンツがグチャグチャになってしまう。

脱糞者自らがハプニングうんこと化してしまう。


ならほぼ間違いなく付添や介助してくれる人がいるはずだ。

だがこの場合も今回には当てはまらない。

 

もしそうならその付添人が流してくれるはず。

三者がそこにいる場合、そのうんこはハプニングとなり得ない。

 

ここで時が止まる。
どうしてもブツを流せなかった事情が思いつかない。

 

人質が取られていて、流せば命がないと脅されているとかか?

流石に意味が、状況がわからなすぎる。そんなわけがない。


そう、どう頑張っても理解ができないのだ。

 

ここで話は冒頭に戻る。

考えればわかるだなんて綺麗事だ。


トイレがブツで汚いから綺麗事なんて最初から言えるわけがない?やかましいわ。


なにはともあれ、世の中には理不尽が溢れている。


そういう時、どうすればいいか?

他人は変えられない。ならば自分を変えればいい。


自分がどう頑張ってもハプニングうんこ現象は避けられない。

ならブツに対して不快感を抱かないようにすればいいのだ。

そうすればハプニングうんこ現象は日常となる。


自分のブツを見ても特に感情は動かないのに、

何故、他人のブツに対して不快感を抱くのか。


この点を解消すればおそらくハプニングうんこ現象に悩まされることはなくなる。


2024年はまだ始まったばかり。

今年はこのことと向き合って生きていこうと思う。

皆も一緒に考えてくれると嬉しい。

 

あともしうんこいつも流さないよ!って人がいたら教えてほしい。

正直、いろいろ考えてみたけど職場のトイレの水圧が弱くて流れきってないだけってオチの気はしてる。

 

てな感じで久々の記事はこれにておしまい。