ざっくジャパン

その時に書きたいことを書くなんでもブログ。

悩み始めた時点で既に9割答えは出てる説

少し時間にゆとりがあるので頭の中に渦巻いているモノをひたすら書きなぐるマンになってます。

今回のはタイトルにある通り
「悩み始めた時点で既に9割答えは出てる説」っていう頭悪そうな持論について。

厳密に言うと、
悩みが発生した時点で既にその悩みを解決するための材料を所持しているのではないか?
答えに辿りつくまでの道筋は既に見えてるのではないか?っていうこと。


心当たりありませんか?大多数の人がないと思います。はい。
だって答え出てたらそもそも悩んでねーよってなりますもんね。


でも悩みが解決した時って「こんなことで悩んでたのか、しょーもな」って思いません?


悩みって意外と自分の深層心理では既に一つの答えが出てて、
それに気付きたくないから見て見ぬフリして、或いは後押しをして貰いたいがために友人に相談をして、
ってことが多いんじゃないんかなって僕の中では思ってます。

自分にとって都合が悪いこと、認めたくないことを直視するのって怖いから
気付いていても無自覚に気付いてないフリをしてしまうことってよくあると思いますし、

友人に相談する時なんて特にそうだと思うんですけど
自分の中にある考えと全然違う方向の解答が飛んで来たら
「う~ん、それはちょっと違うんじゃないかなあ」って間違いなく思うと思うんですよ。
たまに意表を突いたベストアンサーが飛んできたりするけど

これって自分の中で既に答えが出てて、それを後押ししてもらいたいがために
相談っていう形をとって友人に話してるんじゃないかって思うんですよ。


自分一人の考えだけだと自信が持てないけど多数の意見だって思えたら自信がつきますし、
悪く言えば失敗したらその人のせいだって責任転嫁する道も作ることができますし。
まあ責任転嫁する人は終わってるが。

それに解決するための材料を持ってないと悩んでいることにすらそもそも気付けないと思うんですよ。
答えを出せることだからこそ悩んでいることを自覚できるというかなんというか。

ちょっとしっくりこないかもだけど例を出してみます。

数学の問題とか物理の問題とかで全く知らない問題、わからない問題を解こうとした時に
どこがわからない?って聞かれてもそもそも何もかもがわからないから
どうしようもないと思うんですよ。


でもこれが一度習ったこと、つまり解くための材料を持ち得ていたら
ここの公式が忘れたけどこうすりゃ多分解けるんだよな~とか、
この問題のこの部分の計算する意味がわからない。だとか
どこをわかっていないのかっていうわからない点が具体的にわかると思うんですよ。

だからその、なんでしょう。
具体例を出したことで逆に書きたいことがわからなくなってきたんですけど、
まあ、なんとなく伝わってくれ。

 

解決するための材料を一度も所持したことがない問題(悩み)は
そもそもどこをどう悩めばいいのかすらわからないから悩みにならない。

所持したことがある問題はどこをどうしていけばいいのかなんとなくわかってるから、
悩みを解決するための方法があるってことに気付くことができる。

そしてそれを友達とか家族とか、恋人とかに相談することによって
忘れてた解決材料を提示してもらうことができて、元々出てた答えに辿り着けるようになる的な。
うーーん、語彙力が乏しくて伝えたい内容が上手く伝えられなくて面白い。

まあそういうことです。はい。

ちなみに宗教めいた話でいうと
「悩みは神様が与えた成長のための試練だ」
「神様は乗り越えられない試練は与えない」っていう考え方があるらしくて。


まあこの言葉をどこで聞いたかとか誰が言ってたかとか全部記憶にないんで
僕が生み出した言葉なのかもしれないんだけど、
絶対解決できるからこそ悩みが発生すると思うよ俺はってのが今回の話のオチ。