ざっくジャパン

その時に書きたいことを書くなんでもブログ。

トロッコ問題

有名な思考実験のひとつであるトロッコ問題。

1回ぐらいは皆聞いたことあるんじゃないかな。

 

こういう記事が書きたくて

ブログを始めたんだよなっていう原点回帰。

 

なんかね、色んな人からブログ面白いねって声をいただくんです。

今回それで書き始めました。義務ブログ。

こんな人間が紡ぐ言葉を面白いって言ってくれて本当に有り難い限りなんですが

心の底から穴があったら入りたいなと、今とても思っております。

very 恥ずかしい。

 

最近さ、自分という人間の在り方を模索してるんです。

いや、生まれてから今に至る瞬間までずっと模索中です。

 

思い描く理想図を目指してやってることがあるんです。

でも全部中途半端なんです。自分にとても甘い。

 

何も行動に起こしてないわけじゃないよ。

確かに行動はしている。

でも結果出さない限りはなんだかなあと。 

 

頑張りました!頑張ろうという姿勢をしてます!

じゃ自分の中では何の意味もないのです。

 

良くも悪くも自分らしいなって感じではあるよ。

でもそれが心底嫌でさ。

どうにか良い方向に転ぶよう、日々作戦会議中です。

 

 

みたいな感じの真面目な一面を見せる人を絞ろうかなと。

ふざけた一面だけを表に出して

この人はふざけたことばっか言ってて楽しそうな人だなって。

 

そういうブランディングで生きていこうかななんて思ったりして

ほとんどの記事を下書きに閉じ込めたばっかなんですよね。

もう散々自己開示してきたから手遅れではある

 

でも現状のブログに面白いって言葉を沢山頂いて

それを蔑ろにするって褒めてくれた人たちを蔑ろにしてることと同義な気がするので

自分が生きてきた軌跡と向き合います。

たぶんほとんど下書きから解放しました。

 

黒歴史と対峙するよ。

というか黒と思うから黒なんだ。

これは誰がなんと言おうと白なんだよ(?)

 

ちなみにさ、このブログどこが面白いよ。

こんな変な考え方してる人間いるんだなーっていう未知との遭遇

それとも意外と共感してくれたりとか?

どの辺か教えてくれたらとても喜びます。

殆どの人が未知との遭遇派っぽそう。

多分。知らんけど。

 

よし、本題に入ります。

ブログで書けるネタが大量に見つかりました!

思考実験シリーズの幕開けです。

 

今回はトロッコ問題!

知らない人もいると思うからトロッコ問題について簡単に説明するね。

 

 

ロッコが暴走してます。

あなたはレールを操作し、トロッコの進行を変えることができます。

何も操作せずこのままトロッコが進むと5人の作業員が確実に命を落とします。

レールを切り替えると1人の作業員が確実に命を落とします。

6人とも面識がない知らない人間です。

さあ、あなたはレールを切り替えますか?

 

 

何もせず1人を生かすか、5人を助けるためにレールを切り替えるか。

といった感じで正解も不正解もないシンプルな哲学的な問題。

 

いろんな作品で同じような問答がよくあるよね。

1を取るか、全を取るかみたいな。

 

僕の意見は~っていうと、

迷わずにレールを切り替えます。ノータイムで。

1人が犠牲になることで5人を救えるならその方が良いよ。

 

レールを切り替えるってことは自分の意思で1人を殺すってこととほぼ同義だけど

皆知らない人って前提なら自分視点で命の価値に差はない。

なら多数か少数かで生かすべき対象を決めるべきで、

だから1人でも生きてる人数が多い方がよくねって。

 

基本的に理屈で動いてしまいがち。

 

ちなみに8割ぐらいの人がレールを切り替えて1人の命を奪う選択をするらしい。

その選択は合理的で妥当で当然の結果とも言える。

 

ただ1人は知り合い、5人は知らない人って前提条件になると話は変わってくるよね。

ノータイムで5人を吹き飛ばします

 

この人間、感情で動くときもあります。

知り合いなら話が違うよねって。そんなもんじゃない?世の中。

 

という感じで今のが1つ目のトロッコ問題。面白いっしょ。

どっち選んでも正しいよ。どっちも間違いじゃないよ。

 

さてさて、第2問です。

これを発展させたトロッコ問題がもう一つ。

ロッコが暴走してます。

何もしないと線路上で作業している5人は確実に命を落とします。

ここまではさっきと一緒ね。

 

自分はレール上の橋の上に巨漢と二人でいます。

この巨漢を突き落とせばトロッコは止まり、5人の命が助けられます。

しかし突き落とした巨漢は当然、命を落とします。

さあ、あなたは突き落としますか?

 

 

1人を生かすか5人を生かすかの2択。

1問目と違うのはさっきよりも明確に1人の命を奪う行動ができるかどうか。

レールを切り替えるだけと突き落とすこととでは大差あるよね。

さてさて、どうする?

 

俺はというと、この場合でも突き落とすね。

そもそも巨漢を突き落とせるのかって話は別ね。

 

実際、その場になってみないとわからないけど

1人の命で5人救えるっていうのならそっちのほうが丸くない?

さっきと理由も一緒。

 

ちなみに1人の方が知り合いだったらこれもノータイムで5人を吹き飛ばすよ。

 

ちなみにこっちのトロッコ問題はさっきと違って

7割ぐらいの人が5人を見殺しにするらしい。

 

明確に一人の命を自分の手で切り捨ててるからね。

普通はそうなると思う。

 

自分で言ったけど普通って何?って感じでもある。

 

多数決で勝った方を普通という

言葉に当てはめる行為はあまり好きではない。

 

皆それぞれ違う意見を持ってるんだ。

多数派でも少数派でも皆普通だよね。

普通じゃないは普通なんだよ。

 

でね、こういうの考えてると面白くてさ

ちょっと自分でもトロッコ問題考えてみたんよ。

もうちょっとだけ付き合ってね。

 

ロッコが動いてます。

あなたはトロッコに一人で乗っています。

何も操作せずこのままトロッコが進むとあなたは崖から落ちて命を落とします。

レールを切り替えると5人の作業員が確実に命を落とします。

さあ、あなたはどうする?

 

 

5人を犠牲にして自分だけ生き残るか。

自分を犠牲にすることで5人を救うか。

 

こんな言葉選びしてたら大多数の人が後者を選びそうやんね。

偽善?別にそれでもいいよ。偽りも貫き通せば真実になる。

 

大切なのは実際に何をしたか。

今見える景色が何色なのかじゃない?

 

深層心理でどう思ってるかも確かに大事だけど

それよりその人がどう見せたいか、が大事だと思うんよ。

 

だから偽善が善より劣ってるだなんて思わないし、

なんなら本物になろうと藻掻いてる分だけ美しくもある。

偽物語でこういうセリフがあって凄く好きなんよね。

 

皆があれは黒色だって言えば黒色になってしまうかもしれないけど

君が白色だって声をあげ続ければ、届いた人には白く見えてくるんだよ。

 

何が言いたいかっていうと、

まあこれまで通り今回も自分は後者です。

何もしません。ありがとうこれまでの人生。

我が生涯に一片の悔い無し。

 

実際その場面になったら俺は生きるんだ!生きなきゃいけないんだ!って

枢木スザクみたいに生き残ろうとする可能性もゼロじゃない。

そう在りたいってだけで実際そんなに強い人間じゃないからね。

スザクとゼロを同じ文章に混ぜ込むコードギアス構文

 

でも頭に思い描くこうすべきだって行動をなぞりたくなる質なんです。

自己完結できりゃ綺麗事は意外とできるもんなんです。

 

それができないから綺麗事だって?うるせー!

死ぬまでにできるようになれば俺の勝ちなんだよ。

 

そもそもさ、5人を轢く選択肢を選んでまで

生きるって自分のこと嫌になってしまわない?

 

生き残るにはそうするしかなかったんだって自分を説得して

自分は間違ってないんだ!って正当化する選択肢もあるけれど

 

そこまでして自分を肯定したくないというか、

自分を嫌になる可能性のある行動を極力したくないんよね。

 

やってしまったこともあるし勿論これからもするかもしれないよ。

でも大前提としてしたくはないんよ。平和に生きるのが一番好きだからさ。

 

意外とこの人間、根っこのところは綺麗なのかも。

 

大人になっていくにつれて色んなモノ失ってるけどさ、

こうしようって決めたものを破ってみたら意外とくだらなかったりして。

別にこんなもん大事にしなくてもよかったんだってなったりすることもある。

 

でも本当に失ってしまったこともある。

そうしないとやっていけないことが多すぎた。

 

でも行動指針が全部「自分を好きで居続ける為」で一貫してる。

それだけは何があっても揺らがないようにしていきたいよねー。

 

だからさ、この2択なら

というか最初から選択肢は1択なんだよね。

 

ちなみに、君が前者を選んでも否定はしないよ。

むしろそういう我を出せるのも好きだったりする。

そういう人がいるから人間って生き物が面白かったりする。

エゴを貫き通そうな。

 

というかさ、自分を切り捨てるなんていう

綺麗事を本気で言える人が多数いるほうが違和感ある。

まともな人間は綺麗事なんて言わないでしょ。

 

みんな違ってみんないいんよ。

わりと心の底から思ってる。

 

自分の主張と他人への意見が

ここまで変わる人間ってそうそういないよね。

 

別に八方美人とかじゃないよ。

これが本音です。思ったことを文字に書き起こしただけ。

話してるときとスタンスは全て同じね。

 

自分は自分がこうするべきと思ったことをやりたい。

でも客観的に自分のことを正しいと判断できないから人にそれを押し付けたくない。

 

俺は俺らしく生きるので君らしさも否定しませんって感じ。

 

まあなんだ。どっち選んでも後味が悪い2択ではある。

自分が消えれば残されたものは具合が悪くなるし

5人を吹き飛ばせば生きながらえた自分が具合が悪くなる問答ではある。

 

どっちみち終わってるトロッコ問題だよねー。

 

だからさ、君のその先入観を破壊する。

もっかい文面をよく見て欲しい。

 

ロッコ今回暴走してません。

気付いた?俺の性格悪いところです!

 

「どっちも嫌なので3択目!トロッコ止めます!」

これが俺の本当の回答です。

 

ふざけんなって?

でもそしたら皆平和に生き残れるじゃん。天才じゃん?

 

「どっちかしかない」「こうするしかない」

そう考えるのが前提だから当たり前なんだけど

前提に囚われるのって視野が狭くないか?って。

 

別にどっちも選ばなくていいじゃん。

他に選択肢を作ればいいんだ。

誰かが決めた前提に従う必要がどこにあるんよ。

 

問題文にちゃんと穴あけてんだ。

 

右も左も塞がってんなら選ばなくていい。

どのみち救いはないんだから新しい択を作ればいい。

全部まるっと解決できる選択肢を見つけれたならそれが1番じゃん。

 

1回冷静になるとさ、意外と新しい道が見えてくるんだよ。

ルールとか常識ってものに囚われすぎてることに気付いたりする。

 

世界って、人間社会って、

ほんとに歪んでいてくだらなくて終わってることばっかだけど

いいところもあるんだよ。それが見えてないだけだったりする。

 

意外と始まってたりするんだよ。

終わってるって言葉使ったあとに

「いや、終わってないな。むしろ始まってる。」

って言いたくなるのが最近の旬です。

 

てかね、いいとこがあるのはちゃんとわかってるはずなんだ。

 

それなのに終わってるところがあるからって

人生はゴミだなんて、くだらないななんて。

 

全部なかったことにするってさ、

なんかそんなの寂しすぎない?

そう思うんよね。

 

まあ確かに終わってるよ人生は。

いや、というかもはや始まってるよ。

 

でも何に対しても良いとこ、悪いとこは切って考えるようにしたいんです。

万物万象、二面性があると思うのです。

良いとこしか見ないはそれこそ無理だと思うんです。

 

悪いところも引っ括めて

全部まるごと抱きしめちゃえばいいじゃん。

 

じゃないと良いことが何も刻まれない。

悪いことに脳内全てが支配されてしまう。

 

綺麗事かな、達観しすぎてんのかな。

 

感情優位の考え方だとこうはならなそうよね。

合理的すぎるなあとは思う。

 

まあ、理屈は伝わると思う。

共感は得れなくてもいいよ。

 

てなわけで話が逸れそうだから統括。

 

ロッコを止めて全員を救うのが俺の回答です!

世界は広いんだよ。

一呼吸置けば見える景色は一変します。

 

今苦しくて一呼吸できないってんなら、

そんときは誰かが寄り添ってくれるよ。

一緒にぼけーっとしてくれるよきっと。

 

以上、トロッコ問題でした。

ちょっと考えさせられることあって面白いっしょ。

 

大学生の時さ、生き方とか在り方とか

哲学じみたことを考えるのが大好きすぎてさ、

 

人と酒飲むとこういう話よくして

他人の考え方聞いてたなあってのを思い出した。

 

人って学んで修正して細かい部分は変えられても

大まかな部分は変わらないってのがなんかいいね。

昔から考えるのが好きってのはずっと一貫してるや。

 

てなわけで、オチが見当たらないのでおしまい。