ざっくジャパン

その時に書きたいことを書くなんでもブログ。

他人に期待や信用をしないようにすると人生楽になるよって話

どうも、ざっくジャパンです。

今回の内容はまんまタイトルの通り

自分のちょっと偏った考え方について。

 

自分は全く人に対して期待や信用をしてません。

とは言っても別にこれは何一つ悪い意味じゃなくて

良い意味で誰も信用しないようにしてます。

むしろこの方が他人に対して優しいまであると思ってる。

 

理由はシンプルでたった1つ。

他人に対しても負の感情が向きにくくなるから。

 

ん?こいつ何言ってんだ?って思った方。

共感はできずとも、真似はできずとも

理解だけはできる内容になってるはずなので

よかったら数分時間を割いてってくださいな。

 

ちゃんと理屈は通ってます。

へー、この考え方面白いなってなるはず。

 

生きづらい人生をほんの少しだけ生きやすくなるように変える

今回はそんなご自慢の理論武装の1つを紹介します。

 

理屈の通った考え方で自分の思考ごと欺き続ければ

徐々にそれがありのままの自分自身に成り代わっていくってやつ。

 

おそらく皆この考え方だと世界は少し丸くなる。

でも皆同じ考え方だと面白くないから真似する必要はゼロだし

皆違うから人間は面白い生き物なんだよなって。

 

君は君のままでいい。

 

ってなわけで本題。

いつもの如くオチから言うんだけど

 

自分は人と関わる時は減点方式じゃなくて

加点方式に重きを置いて関わるように心がけてます。

なので最初から誰も信用しないし期待してません。

 

これだけじゃよくわからないと思うんで

ゆっくり説明していきますね。

 

まずは多くの人がやっているであろう

減点方式での関わり方についてから。

 

減点方式ってなんだ?テストか?ってなるよね。

想像してみてください。

 

人に裏切られた経験ってありますか?

よく裏切られたって言ってる人いるじゃないですか。

 

恋人に浮気されて裏切られた〜とか、

友達に貸したお金が返ってこない裏切られた〜とか。

 

で、なんでこうなるかって話なんだけど、

信じるから裏切られるんよね。それはそう。

 

最初から浮気される前提でいれば裏切られることはないし

お金も返ってこない前提でいれば裏切られることはない。

 

信用するというプラスの状態で人と関わるから

裏切られた時に、嫌な事があった時に誰かを減点し

誰かに対して嫌な感情を抱く。

 

いや、そんなんおかしいじゃん。信用しないって。

そんな諦めきった人生楽しくないじゃん。

浮気される前提とかお金返ってこない前提とか

そんなの友達や恋人って言えないじゃんって思った方。

信用できない人と関わるのっておかしくないかと思った方。

 

それはそう。おかしいよね。

自分でもわかってます。

 

でもさ、一回冷静に考えてみて欲しいんだけど

 

そもそもこの「信じる」って言葉、行為

これってあんま良いことじゃなくないか?って。

 

いやさ、聞こえは凄く綺麗だよ。

「自分は〇〇を信じるよ」とか

「約束しよう、信じてるね」とか。

 

響きはとても綺麗。

 

でもさ、この言葉って俺が思うに

「自分の理想を押し付ける行為」だと思うんよ。

 

この人にはこうして欲しい。

この人はこうであって欲しい。

こういうことはしないで欲しい。

 

自分の価値観はこうだから

相手もそうするべきだ。でないとおかしい。

 

だから「信じる」っていう響きの良い

呪いの言葉に乗せて、相手に理想を押し付ける。

 

自分の理想と違ったことが起これば裏切られたと言う。

 

そう、実はこれあんま良い言葉じゃないんよ。

 

そもそも「信じる。」「信じて。」なんて言葉が

発生する必要ない状況の方が相手を信じれてるんよ。

 

あえてこの言葉をかけて相手を呪いにかけることもあるけどね。

基本的にこの言葉は好きじゃない。

自分の思想の押し付けでしかないから。

 

相手が自分を信じてくれって言った場合でも

別にこれは変わらない。

 

口ではなんとも言えるからね。

世の中には無理なことや嘘を平気で言う人がごまんといる。

 

別にそれが良いとも悪いとも思わない。

その人はそういうふうに生きてる人間ってだけで、

その人にとってはそれが当たり前だからね。

 

物事に絶対的な悪や正義はなんてものは存在しない。

 

「自分の理想が正しくて相手も絶対そうするべき」

なんてものは当事者間においては存在するかもしれないけど

もっと大きい目で物事を捉えた時には案外存在しなかったりする。

 

極端な例えを出すと

殺人は日本の日常では悪とされているけれど

戦争になれば数が多ければ多いほど英雄になる。

 

日本じゃ浮気や不倫は良しとされていないし

そういうふうに法も整備されている。

でも海外に出ればそもそも一夫多妻制だったり

多夫一妻制だったりの国も存在している。

 

それが当たり前とされている世界はどこかに必ず存在する。

 

屁理屈だって言われたらそれまでだけど

視点と環境によって善悪なんてコロコロ変わる。

 

だから別に嘘をつくことが悪いことだとも思わない。

嘘をつく人が悪いとは一概に言い切れない。

同じようにそれを肯定することもしないけどね。

 

何が言いたいかというと相手に何かを期待したところで

相手は自分と違う人生を、環境を生きてきた人間だから

自分の思った通りに動いてくれるわけないんだわ。

 

信用とか期待とかするだけこっちが疲れるだけって話。

 

だから視点を、自分自身を変えることにした。

はなから人に対して何も特別な感情を抱かないようにすれば

裏切られるようなことは絶対に起こらない。

 

他人が変わるかどうかはその人次第だから

その人が変わろうと本気で行動しない限り絶対無理だけど

自分なら自分次第でいくらでも変えられるからね。

 

脱線してるように見えるけど話は繋がってくる。

おそらく多くの人間は減点方式で人と関わっている。

 

友人、恋人に対して信用をしている状態から始まる。

信じていた通りの行動をすれば勿論嬉しい気持ちはあるけれど

信じているんだからそれをするのが当たり前で。

良いことをしても感情の振れ幅としてはそこまで大きくはない。

確かに嬉しいっていう感情はあるけどね。

 

でも信用していたことと逆の行動を取った場合、大きくその人に対して減点が入る。

信じていたのに裏切られたってね。

人間負の印象の方がどうしても大きく引っ張られるように出来ている。

 

1つの良いことと、1つの悪いことを同時にしたとしたら

でもあの人あんなことしたしなあって悪く捉えてしまう。

 

人との交流において常に減点に重きが置かれている。

 

冷静に考えてこの生き方って

結構息苦しくないか?ってふと気づいた。

 

なら逆をしてみればどうだろうと思ったのがきっかけ。

 

誰に対してもはなから信用も期待もしない。

 

そうすれば勿論悪いことがあったところで

その人に対してまあしょうがないで全て終わる。

その人は元からこういう人だったんだなとか。

まあこういう人もいるわなって。

 

逆に何かいいことがあればこの人こういうことしてくれるんだ。

この人こんなこと出来るんだってプラスになる。

 

人の印象を加点に重きを置いて決めていく。

 

どうしても負の印象が強くなる人との交流において

負の印象がその人の印象を支配することが減っていく。

他人に対して良い印象の方が自分の中で残りやすくなる。

 

これが人と加点方式で関わることを意識した理由だったりする。

基本的に人間という生き物が好きな俺だから多分為せる考え方かもしれない。

でも結構良い考え方じゃない?

 

これが今まで色んな人と関わってきて

自分で作り上げてきた価値観のうちの一つです。

 

上手く伝えられた自信はないけれど

なんとなく伝わっただろうか。

 

自分の思考とか感情を言語化するのって

難しいけどいざやってみると楽しかったりするんだよな。

 

ってなわけでまとめ。

俺が人に対して負の感情を抱くことが

少ないのは全部これが理由です。

 

ちなみに元からこういう性格してたってよりは

こういう考え方で生きてた方が

きっと人生面白くなるよなって思って、

 

そこから自分を矯正するように理論武装で塗り固めただけだから

まだ完璧にこの考え方になれてるわけじゃないんだけどね。

だからたまにちゃんと人を減点してしまう時もあります🤗

 

ちょっとは面白い考え方だなあとか

なんかしらの感想を思っていただけたら幸いです。

 

ちなみに精神的にしんどい時とか

ストレスが溜まっている時に使う理論武装もあります。

 

これについてはまた気が向いたら別の記事で書くから

気が向くその時まで乞うご期待。

 

なんていいつつ飽き性で気まぐれなので

あんま期待しないでね。